人それぞれ、価値観が違います。

その価値観は、潜在意識によるものです。

本人の過去の潜在意識より、本人が日頃から思うネガティブな思いに引き寄せられた、他人の潜在意識が価値観を主張するケースが殆どです。

たとえば、生前、どちらかというと、感謝より怒っていた人がそのままこの世を去れば、怒りに固定されます。

怒っていた意識は天上界に入れませんから、そのまま、この現世にさまよいます。

当の本人が怒ると、怒りの波長に引き寄せられた、さまよっていた自我だらけの怒りが、本人の潜在意識に入ります。

ワタシも、この流れで、怒りの意識を入れてしまいました。

怒りの潜在意識は、自分が亡くなったことを知らない者が多いです。

まさか、亡くなっても意識があるなんて思いもよらず、夢の中にいると勘違いしたままの状態です。

当の本人が、怒りだすと、潜在意識の怒りの意識が、生前怒っていた状態で、本人よりも怒り出します。

怒り以外、ネガティブな感情は、潜在意識が暴れている(怒哀)状態です。

人の言葉で、怒ったり不安になったりしますが、その殆どが、自分の潜在意識にいる他の意識が反応しています。

 

自分の潜在意識に怒りが3人いると、自分を入れて4人の価値観になります。

 

相手も3人いると、ふたりで話し合っていても、合計8人の価値観ですからケンカになりますね。

自分の潜在意識にいる、他の意識に出て行ってもらうには、反省しかありません。

それは、本人と他の意識に反省を促がすことです。

反省というと、自分を責めてしまう人、自己卑下になる人がいますが、それは反省ではありません。

古代キリスト教の大司教だったアウグスティヌスの「告白」の書籍にもありますが、アウグスティヌスの反省法は主(神)に対してでした。

主に対して、自分の間違いを告白し、反省しているわけです。

これは、仏教も同じことです。

仏教は、仏に対し自分の行いを詫びます。

決して、自分自身を責める反省ではありません。

ここで問題は、何を反省するかです。

 

反省のものさしが必要です。

反省の初歩は、道徳がよいと思います。

その先が哲学になりますが、道徳も哲学も、人間が善悪を考えたものですから、叡智(真理)の王道の反省ではありませんが、道徳からはじめるのが判りやすいと思います。