1週間の夏休み、新幹線で日帰りで京都に行った。演劇を観に行った。名前は「発表会」とされていた。それを見て平等だと思った。目の前の、または横にいる、人を前にして私たちは平等だと思った。人を前にして一緒に何かしようとする、もちろん、一緒に何かしようよと話すことで一緒に何かできることはほとんどない、または、それは一緒に何かできてしまうにあたってのほんの一部でしかない。一緒に何かするにあたって、お互いが住んでいる場所に行く、一緒に海に入ったり、ボール蹴りをしたり、家で夕食を食べたり、円く座って話をしたりする。その底流には、常に意識するとむしろその実現を妨げるであろう、どうやってこの人と一緒に何かをするのだろうか、という意思がある。そのとき人は平等だと思った。そして、一緒に何かするときに語られることは、自然な流れとして、いま人がどこにいるかについて、いまとこれまでにどのように人とやりとりしてきたかについてになる。土地と家族について話すことが、観客を前にして何かを立ち上げる際のよすがになる、これは何らかの物語なのだということになる。
また、平等であると思ったのは、ほんとうに「発表会」であると感じられたから、「作品」を受け取らなくてもよい、浴びせられなくてもよいという安心感があったからでもある。この人たちは「作品づくり」の「発表会」をしていたという、嘘のなさが嬉しかった。
もちろん、観られることを前提として表現をするのだから、私は観客の前で素晴らしいことをしたいという心の構えが消え去ることはないだろう、しかし人と何かをしようとすること自体は「作品づくり」なのだ。
京都の町を少しだけ歩いて、どこにも寄らず、東京にトンボ帰りした。新横浜に迎えに来てくれたカノウちゃんの助手席に座ると、リナとユコがいた。チヒロが後ろから顔を出し、背もたれを乗り越えて真ん中に座った。
土日に神戸であるオールジェネレーションズ発表会のために、前日入りした。数名で飛行機に乗った。うち2人は子どもで、中学生と小学生、2人ともスマホやタブレットをよく見る、特に中学生のリナは楽ちん堂にいても久しぶりの遠出でも座っていても歩いていても、常にスマホを見ている。スマホの明かりが薄く彼女を照らしている。小学生のユカは空港への送りの車の中で、タブレット忘れた、一回戻りたい、このまま飛行機乗りたくない、と言っているうちに、不機嫌になりフテ寝した。空港の中でマンガを買いたいと言った、搭乗口とは逆だったが、書店に寄ってマンガを買った。私たちは飛行機に乗り込む最後から2番目の客だった。途中で彼女の母親が彼女のチケットどこだっけと言いだした、そのとき財布から薬が落ちた。気づいていなかったので、動く歩道を渡り切ってから、落ちた場所に戻って拾って渡した。リナは海や飛行機や空をときどき思いついたように顔を上げスマホで撮っていた。
ひとまず腰を落ち着ける目的地のマンション、海沿いにある駅から海岸沿いに向かう歩道橋に、地蔵の高さの小さなモニュメントがあった、過去、その場所でぎゅうぎゅう詰めの群衆の中で将棋倒しになった人が亡くなったことを留めておくものだった。私は駅の階段に差しかかるときに、ユカのキャスターバックを持った。海岸沿いの道を歩くときに、リナの手提げ、シャンプーとリンスが入っていてかなり重い、を持ってくれと言われたので持った。リナは後で1人で来た別の母親を迎えに行き、その荷物を持った。
私たちは飛行機で来た。新幹線で来た人もいた。車で来た人もいた。発表会の講師2名のうちのひとりのタエシマは、できているというか意識もしていなかった車の運転を、他人に言われることをもとに、いまもう一度やり直ししようとし始めていると言った。私はもう車の運転はできない。むかし教習所で習ったが、もう車を運転する感覚を失ってしまった。私ももう一度、運転をするなら他人の目のあるところで私の運転を見てもらう必要がある。車の運転をするようになったとき、それより前に、したことのない車の運転を想像していたことを失うのか。私に、私の目の前や横にいる人に、したことのない運転を想像していたことは残っているのか。
子どもだったとき、知らない場所に遠出をしたり知らない人に会ったりするとき、頭の中で想像がふくらんだ。まだ行ってない場所や会っていない人を頭の中で、おそらくツギハギのイメージで出力させていた。実際に場所に行き人に会うと、そのイメージと同じことはなかった。その場所と人の中にいながら、イメージとのギャップの感覚が身体に残ることを思い出していた。
子どもたちと一緒に何かをしたかった。少なくとも子どもたちがこうやって一緒にきたことをこぼさないで何かをやりたいと思っていた。私は発表会の1日目遅刻した、昼ご飯の休憩が始まろうとするときだった。すでに何かが起こされていた空気があった。会場は劇場だった。直方体のシンプルな箱の中だった。子どもたちは大人たちの輪には入るときもあるが、ほとんどの時間を舞台や客席側で寝転んだり座ったり歩いたり、舞台袖や2階の音響照明ブースに歩いていったり戻ってきたりした。私も大人たちの輪には加わらず、それをときどき外から見たり、劇場を歩き回ったり寝転んだりした。私はいま起きていることを発表会でやろうと思った。
発表会の2日目の翌日、私は新幹線で東京に戻った。途中の駅から車内は混み始め、大きな荷物を持った夫妻が乗ってきた。ふたりは席を探し、三列席の通路側に縦に並んで座った。夫の背は高く妻の体は大きかった。夫は前の席にいる妻に唐揚げ弁当を渡した。2人は何度かこれからの予定や目的地について英語で話した。夫は後ろから、席からはみ出た妻の左の肩と二の腕をさすりながら妻と話をしていた。弁当を食べ終わった後、夫が小さく小分けされたピーナッツを一袋食べると、妻は前を向きながら黙って左手を後ろに差し出し、夫の空袋を受け取ってゴミ用のレジ袋に入れた。
(たなか)