チヒロとツチヤ | 楽ちん堂、STUDIO GORRON、すたじおごろん二子玉川ブログ〜NPO法人ら・ら・ら〜

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24時間鍵が開いている全世代コミュニティーカフェ。元森田オフィスはお芝居の稽古場でもありました。だから今も芝居も歌もダンスも小説も絵も創作しながら子供預かりやお泊まり、いつもドッタバタのグッチャグチャカフェ。

チヒロは4月で小4になるとおもう。彼はよく靴下を無くす、リュックを無くす、一緒に探す。
もう夜だ、帰りなさい。の時間になっても探し物は見つからない。
「だってないんだもん」
「リュックなくてもいいじゃん明日も来るでしょ」
「リュックはだいじなの入ってる」
「じゃあなんで無くすのさ」
あ、と思う。「なんで無くすのさ」とは我ながらひどい言い草だなあ。
「じゃあ今日は泊まればいいじゃん」
「やだ」
この日は泊まりたくないらしく、しかし見つからないリュックが出てこないと帰りたくもない。
 
彼が泊まるときは一緒に風呂に入ることもある。チヒロは水が顔にかかるのが嫌だから、
シャワーを浴びるとき身体を後ろにのけぞらせ髪をかきあげるように洗う。
ちなみにドライヤーのときも上体をのけぞらせる、見せる動きが、フェレットとかミーアキャットに
とても似ている。
 
「アホ毛作れるかも」チヒロは泡立った髪を整形してツノを作った、鏡が湯気で見えない、感覚で
ツノを整形している。先に洗い終わった僕は湯船から楽しそうな彼を見ている。
 
「チヒロ、耳んとこ泡まだついてる」
「ゔぅ」耳は顔だから、お湯をかけたくないらしい。
「ほら」手に掬ったお湯で耳を流す。
「やめろ!」
 
二人で湯船に浸かる、窓を開けると鉄塔が見える、向かいのアパートの電気がついている
明るい色のカーテンが見える、チヒロはポケモンの話が多い。
 
「なんでこんなんなっちゃったのかなあ」と湯船で彼が言ったのは半年ほど前だ、チヒロは学校に
殆ど通っていない。
 
「なんでこんなんなっちゃったのかなあ」と言ったその表情は緩んでいて、
その声の音もよかったよう思う。不登校の負い目よりも、
自分の心の動きに疑問や興味があるかのような、と推測するのは無粋だ。
とにかく表情と音がいいものだった。
 
リュックをなくした日。彼は泊まりたくもなく、帰りたくもない、リュックがないとプチパニックになっていた。
屋内を、僕と田中さんとチヒロの母のアキコさんとで探したがなく、チヒロは外に飛び出して
駐車場や周りの道路をさまよった。
チヒロの不安は加速する。ない、ない、ない。
僕と田中さんとアキコさんもチヒロについて回るが、チヒロはリュックを探すことよりも、
ついてくる大人から逃げ回ることで精一杯だ。彼は泣き出して、しかし足は止めず歩き回りついてくる
大人を殴って。アキコさんが悲しそうだ、「お母さんチヒロが人を傷つけるの見るの悲しいよ」
チヒロはわかっているけど手が出てしまう、不安は苛立ちになって、怒ったらどうすればいいのかを
身体が知らない。
 
その夜、チヒロはあちこちの車の裏に隠れたり、突然駆け出したり、疲れて歩いたりを繰り返して
自分の家に着いた。触らせてくれない猫の間合いに似ていた。大人が三人ついて回った。
彼が飛び出して事故にならないかだけが心配だった。
 
チヒロとは年齢が離れているが勝手に友達だと思っている。
だから、子育てに加担している、という意識は持ち合わせてはいないのだけれど、不意に思い出すのは自分が小さいときの父の印象だったりする。
僕は子供がいないので、この感覚が明確に表現しづらいのだけれど、僕が小さいとき父は
僕を叱るときや、なにかを教えるときにきっと心配したり、これでいいのかと思ったりしていたはずだ。
 
幼少の僕はそれを理解してはいなかったのだから、やさしいな、怒ってるな、としか
キャッチしていなかった。けれど、こうしてチヒロとの関係性、彼が与えてくれる時間の中で、
ずっと前に父が僕に見せた表情がまた僕の中で産まれるような、どこかの何かが成仏するような感覚になる。父はもちろんまだ生きている。
 
めちゃくちゃに夜道を駆け回ったチヒロは翌日けろりとした顔で楽ちん堂に来た。
小学生の男子達は楽しそうに遊ぶ。
 
リュックも、ソファの下からけろっと見つかった。
 
(ツチヤ)