私がなりたい自分は
『人に必要とされる人になる!それも身近な人に』
というコンセプトのようなものが根底には流れている。
『人に必要とされる人になる!それも身近な人に』
というコンセプトのようなものが根底には流れている。
それはどうしてか・・・
両親が宗教家であり『神様の御用』と言う名で一人で留守番をすることが多く、
心の中で「自分の子どもより他人かよ!・・・」という気持ちが強かったのと、
また もし人のために動くのであれば ただ単に心の問題として処理するのではなく
科学的な知識や技術が伴うほうがいいのではないかとも思っていたから。
科学的な知識や技術が伴うほうがいいのではないかとも思っていたから。
ならば私は 科学的な知識も技術も心も磨いて人のために働く人になるのだ、
そして 人のためだけではなく自分のしたいこともちゃんとできる自立した大人に
なるのだと中学生のときに思った。
仕事としてするならば・・・まずは看護師か美容師
(注:中学生なので職業をあまり知らない)
・・・無償ではなく有償でないといけない・・・となんとなく思っていた。
・・・無償ではなく有償でないといけない・・・となんとなく思っていた。
だから まず看護師になった。
美容師への道も捨てがたい・・・
私の唯一の遊びは ぬり絵やくれよんの色をきれいにすること
人の髪を触って綺麗にすることが好きだった・・・
だからパーソナルカラーに出逢ったときは 色の不思議と共にこれもしたいと思った。
地域に・・・そして身近な人の役立つには 福祉のことも知っていたほうがよいと
社会福祉の大学に通信で通った(結婚や介護で卒業までに10年もかかる)
自立した大人でありたいので結婚はどちらでもよかったのだが
子どもの頃 話の聞ける親になりたいとも思っていたのと
漠然と30までに一人子どもを産んで
女の子と私に似た男の子が欲しいとも思っていた。
だから結婚もした。
その後は予想外のことが起こる。
子どものアレルギーや自分の親の癌の末期の介護がそうだ。
自分が頑張るだけでは上手くいかないことに遭遇して
自分の限界も感じて・・・心理的なことにも着目するようになった。
色彩心理やアートは 相手の心の一部を知ることに繋がる。
おしゃれを忘れないことは 心に余裕を作る。
ストレスに上手く対処できる状態は 相手の状態もよくすることも知る。
色はセルフコントロールに使えると思った。
色はセルフコントロールに使えると思った。
子育てしながら食事療法もし、夫の仕事も手伝い、自分の仕事もする日々
子どもが思春期に突入した頃
自分自身のコミュニケーションに上手くいくパターンと
上手くいかないパターンがあることに気づく。
それまであまり 同じ親同士で会話することなく仕事をしていたのだが
子育てのことを考える機会ができた。
他人のことを考えていたつもりが
自分のコミュニケーションパターンの間違いに気づく・・・これは面白い!
それが親業のコミュニケーション法だった。
今 様々な学び(ここには書ききれない)を通して 自分が本当に楽になっている。
そして中学生の頃に思っていた大人に近づきつつあることを感じている。
今までの学びをこれからは人に提供したいと思う。
そして自分のことを大切にして魅力的になり
他人をも楽にしたいと考えている人を
色とコミュニケーション法でサポートをしようと思う。
そして同じような志を持つ人を将来は育てたいと思うのです。