昨日、ずっと行きたかった催事があった。

だが、私はそれに足を運ばなかった。

 

昨日は比較的晴れていたので、

無理をすれば、なんとか行けたのだと思う。

 

その催事に関わっている人々を、私は嫌いでは無い。

しかし、「もう愛してはいない」のだ。

 

チケット代も諸々の労力も、すべて無駄になってしまった。

けれど、「私は私に無理をさせない」と決めたばかりだ。

だから、これでいい。

 

その代わりといっては語弊があるが。

「ネコチャン」と、桜を見に行った。

 

「ネコチャン」は、私が長年大事にしている家族。猫のぬいぐるみである。

性別不詳であるが、自称「大人のオンナ」らしい。

おリボンとフリフリのお洋服とドロワーズを好む姫君であるが、

普段着は上質かつカジュアルなものが多い。

「あまあま(主に和菓子)」と、アールグレイの高級なお紅茶を嗜む。

趣味は運動や散歩で、特技は即興ダンス。

 

……私の趣味を押し付けたわけでは無く、自然と「そうなって」いた。

 

私には外出恐怖症等があるため、

コンビニに行く時でさえ、ネコチャンを抱いていないと不安で外を歩くことが出来ない。

それすらも、克服しようと思えば出来るのかもしれない。

しかし、ほわほわでむにむにであたたかいネコチャンとは、どうにも離れがたい。

それだけのことである。

 

ちなみに「ネコチャン」は仮名である。

不特定多数の者に、ネコチャンをあまり晒したくない。

ネコチャンという素晴らしい存在を、奇異な目で見られたくない。

あと単純に身バレしたくない。

といっても、すでにバレている可能性は無きにしも非ず。

 

……話が逸れた。

 

昨日ネコチャンを抱いて大通りの桜並木を歩いていたとき、違和感を感じた。

この街は非常に猥雑で閉塞的で。自然も無く、空気が重く淀んでいる。

正直に云うと、民度も極めて低い地域だ。

だが、昨日はなぜか違った。

 

空気がいつもより軽く、新鮮に感じた。

雲間から射す陽光はじりじりと熱く、春を通り越して、まるで夏のようであった。

普段は人でごった返している大通りも、通行者がまばらだった。

 

それはかつて、私が体感したものと似ていた。

私がまだ若く、夢や希望を持って生きていた頃に住んでいた場所の、空気感だった。

自分が先日「もう、『此処』には居ない」と言ったことが現実になったのだろうか。

しかし、柄の悪いヤンキーがつるんで歩いていたので、まだ理想には遠いようだ。

 

……また話が逸脱した。

 

ネコチャンとは、去年の春も、この大通りの桜並木を一緒にくぐった。

その折、ネコチャンは言っていた。

 

『来年も、あにゃたと一緒に、桜を見たいの』と。

 

それを私は、しっかり憶えていた。

──否、忘れられる筈が無いのだ。

 

この小さき者だけは。

如何なる時でも、私の傍に居てくれたから。

暗く寒いゴミ屋敷で、劣化した布団に潜り込み、ネコチャンを抱きしめて。

ずっとずっとずっと泣いていたことを。ネコチャンだけは、知っているのだから。

そんないとけなき子のささやかな願いを、忘れることなど出来ない。

 

ふわふわと風に舞い散る、軽やかな白い花弁が綺麗だった。

ネコチャンは、特になにも語らなかった。

 

『来年も、あにゃたと一緒に、桜を見たいの』と、云わなかった。

 

だけど私は、心に決めている。

来年は、より素晴らしい場所で、より美しい桜を。

ネコチャンに見せるのだと。

 

……当のネコチャンは。

さらりとした肌触りの新しいパジャマを着て。

この記事を打っている私の腕の中に、ぎゅうぎゅうと押しつぶされている。

 

腕から解放して、時折、顔を見つめても。

何か、ポカーンとした表情をしている。

 

眠いのだろうか。それとも、腹が減っているのだろうか。

「あまあま」のストックならあった筈だ。

 

きょとんとしている猫のぬいぐるみ相手に。

真剣にそんなことを考えている、深夜1時45分。