能登巡礼の旅を綴っています
つばき茶屋さんで美味しいお食事をした後
木ノ浦海域公園
公園内の一角にあるお店
Cafe Coveさんへ
この一帯 ほんと好き
ステキな場所
以前にも来たことがあり
ステキな場所はわかってた
この場所でクリスタルボウルを奏でたいと思い
なんと!
いつもは持ち歩かないクリスタルボウルと共にお出かけ
幻さんから
「先発隊として先に輪島の地に立ち
祓い清め、我々をお迎えください」
とお言葉をいただいており
責任重大な任務を仰せ使った身として
とにかく能登で楽器を奏でようと
車に乗せて出発したのでした
カフェでお茶した後は
はい! 最高の場所でクリスタルボウルを奏でます
波の音、鳥のさえずりと共に
クリスタルボウルの音が広がっていく
めちゃめちゃ氣持ちが良い
ふと下を見下ろすと とってもステキな場所発見!
少し砂浜があり 静かに波が打ち寄せる場所
水大好き
さっそく 下へ行く準備
クリスタルボウル1個を 鞄に入れて降りる準備をした
草に覆われているものの
階段っぽいところから下に降りられる場所を見つけた
そこへ一歩足を踏み出したところで悲劇が!!
草の上に置いた足が つるっと滑り
ステンと尻もちをついたかと思ったら
ズズズーと下に滑り落ちそうに!!!
慌てて、左手でクリスタルボウルの入った鞄をかばい
右手でその辺にあった草だが 木だかを必死でつかみ
滑りおちないように 足で踏ん張った!
なんとか その場で踏みとどまることができた
ほっとしたものの
立ち上がろうとした時
左足 ふくらはぎ、足首をやってしまったようで
足に違和感がある
その場で ふくらはぎは なんとか痛みを和らげ
痛めた左足をかばいながら
車までたどり着いた
幸いにも 負傷した足は左足
右足で車の運転ができたことは不幸中の幸い
このまま肯定通り次の目的地
能登の最先端
朝日と夕日が同時に見られる場所
禄剛崎灯台へ
駐車場から灯台まで だいぶ距離があり
息切れするくらいハードな道のり
この時はまだ歩けた奇跡
行きたかった場所全て行き
車を輪島のホテルへと走らせた
道中 夕日がとっても綺麗で
道の駅 千枚田ポケットパークに立ち寄り
夕日を見ようと外へ
そこあたりから左足首の痛みが増してきて
痛くて普通に歩けない
夕日を見ながら
舳倉島行きメンバー達に
明日は行けないことを告げた
悲しみに浸りながらも
夕日がとっても綺麗で
足の痛みも忘れるくらい見入った
夕日も沈み
また車をホテルへと走らせた
ホテルに着いて、フロントに行くまでが痛みのピークだったように思う
駐車場からフロントまでの長いこと
横目で 入るはずだった‟温泉 大浴場”の文字を悲しみいっぱいで見やり
なんとかフロントに到着
こんな時でも 夕食のことは忘れない
フロントで 夕食のお店リサーチ
・駐車場からテーブルまでの距離が短いお店
・お刺身定食の美味しいお店
2つの条件をだしたところ あるお店を紹介してくださった
部屋で少し落ち着き
夕食を食べるべく車へ
夕食前に 薬局で湿布を購入しようと
輪島市内のドラッグストアへ
店内に入り、レジ近くでスタッフさんに
事情を説明して、湿布を持ってきてもらった
湿布を足に貼り
少し心に余裕も出てきた
接する方々 ほんと愛ある方ばかりで
感謝の心でいっぱいになった
ありがとう! ありがとう!
愛いっぱい受け取らせてもらったよ
この世の中 愛溢れる人ばかり
なんて幸せなんだろう
幸せをかみしめ 夕食のお店へ
夕食のお店でも入り口から一番近い席を用意してくださった
とっても美味しいお刺身定食を食べることができ
幸せいっぱい
食べ終わろうとした時に 太鼓の音が近くから聴こえてきた
どこでやってるのか
会計を済ませ 外へ出ると
お店の真後ろから太鼓の音が聴こえる
ゆっくり ゆっくり 痛みをこらえながら
太鼓の音がする方へ歩いた
そこでは 御陣乗太鼓のステージがあり
大勢の方が椅子に座って観ていらした
御陣乗太鼓
風貌はとても怖いけど
太鼓の低音がとても心地よい
明日は帰るだけと
観光気分で 終わりまで観覧し
ホテルへ
ホテルで何げなくSNSを見ていたところ
お友達のさらにお友達が
舳倉島のかぐや姫伝説のことについて書いているサイトにヒット
そこから どんどん ワードが繋がっていった
スサノオ
出雲
↓
隠岐の島
↓
舳倉島
姫は逃げ延びた
姫は助かったのだと
涙が溢れてきて
自分のことでもないのに
なぜこんなに泣けるのかもわからず
一人 ホテルのベッドで泣いていた
朝 家から出発する前のメッセージから足を痛めるまで
たった一日の出来事だけど
内容がてんこ盛りの一日だった
回想
どうしても 舳倉島行きを阻止する存在がいて
いろいろメッセージを送ってきても
無視する私に
身体を痛めるさせることによって
舳倉島行きを断固阻止しようとする存在から
ガツンとやられた感がある
舳倉島行きを ようやく断念することになった
そこまでして行かせたくなかったのはなぜか?
これは 何だったのか?
阻止する存在とは どなただったのか?
行くはずだった 舳倉島
敵を蹴散らそうとする強いある方の想いが乗り移ったのか!?
逃げのがれたことを知らせたかっただけなのか?
安心してほしかったのか?
今でも不明だが
なんだか 安心してほしかったような氣がしてきた
その氣持ち 確かに受け取った!
行きたかった場所に全部行けた
行かしてくれた
ただ気づいてほしかったんだね
全てがミラクル
次元の綱渡り
次元のはざまに生きたかのよう
〔続く〕
今 御陣乗太鼓について 調べてみて あるワードに驚いた!
~御陣乗太鼓:由来~
天正4年(西暦1576年)越後の上杉謙信は、能登の名城であった七尾城を攻略して「霜は軍営に満ちて 秋気清し 越山を併せたり 能州の景」と詠じ、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。
現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌まで持ち出して上杉勢を迎撃する準備を進めたが、あまりにも無力であることは明白であった。しかし郷土防衛の一念に燃え立った村人達は、村の知恵者といわれる古老の指図に従い、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけた。上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散したと伝えられている。
村人達は名舟沖にある舳倉島の奥津姫神の御神徳によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)に仮面をつけて太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っている。
~~~~~~~~~~~~
‟舳倉島の奥津姫神の御神徳によるもの”
‟奥津姫神”=日常の食べ物を煮炊きして命をつなぐ大事な竈(かまど)を司る火の神さま
そして、写真を整理していて気付いたこと
奥津姫神社に行っていた事実!
神社の前には御陣乗太鼓之地の碑も立っていた
今になって いろいろと繋がり出した!
イベントのお知らせ
『ライオンズゲート 音繋ぎ』
〜音奏コンサート〜
2回開催
・午前の部:10:15開場 10:30 開演
・午後の部:13:15開場 13:30 開演
会場:瀬々らぎの森〜ラプティトゥポルト〜
地下『木もれ日カンティーナ』
石川県小松市瀬領町カ122
@ raku_sya