新しいすまいの提案 p.96

 

「~そのころ(昭和25年ころ)から、ようやく住宅の設計ができるようになった建築家は、新しいすまいの提案を次々に行った。

 

大量生産方式によって住宅を安く供給しようとする工場生産住宅の提案、わずか6坪の極小住宅や、ローコスト住宅、吹抜けや中2階の利用によって私室空間のプライバシーを保とうとする最小限住宅などがつぎつぎに提案された。」

 

 

さまざまなすまいの試み p.97

 

「1950年代は、それまで軍国主義による思想統制や資材の不足によって、思うように活動できなかった建築家が、長年温めていた建築に対する情熱を吐き出すかのように、小住宅の中にさまざまな試みを行った時期でもあった。

 

まだ大きな一般建築がつくれなかったときだけに、この時期の小さな住宅の中に新しい表現が意欲的に試みられている。

 

 これら、すまいの機能を分化させながら、しかも空間的には、それらを融合させるために、吹き抜けや、床を段違いにしたスキップフロア、ピロティ、あるいはワンルーム形式をとりながら、ムーヴネットと呼ばれる設備装置によって巧みにその空間を分割する方法など、すまいの設計手法はさまざまにひろがった。

 

しかし都市における小住宅の持家の風潮は、しだいに土地の値段を高くして、近郊農村を都市化する結果をも招くことになった。~」

彰国社