シータヒーリングのディグ・ディーパーが終了しました

おめでとうございます㊗️


 

 

トントンとディグまで終了して、セミナー終わるたびにとてもしっかり、すっきりされました

 

 

人ってたくさんのものを抱えて生きているけど

 

 

ちゃんと越える力持ってるなーとあらためて感じます

 

 

セミナー中は私にとっても学びがたくさん

 

 

楽しくてしょうがない

 

 

 

時々お世話になっている医師に久しぶりに会い

 

 

なんか楽しそうだねぇ、前と全然違うね、と言っていただいて

 

 

そういえば、楽しそうだねと言われることが本当に増えたな~と思いました

 

 

謙遜とかそういうのもどっかに置いてきちゃったんで

 

 

そうなんです、楽しいんです、幸せなんですってニタニタしながら言ってます

 

 

 




 

 

最近ふと考えたこと

 

 

スピリチュアルな考え方を持つ人と持たない人の違い

 

 

ご縁がない人は本当にいつまでも無いですよね

 

 

私もそういう人には話す気にもならないし、何も聞いてこない

 

 

でも、スピリチュアルなものが必要な人は、私が何も言わなくても、突っ込んで聞いてきます

 

 

 

 

私自身、なんにも知らないでお勤めしていたころと今を比べると

 

 

スピリチュアルな観点を持たないことで三昧の境地を生きることができていたな~ということに気が付きました

 

 

 

その時に没頭することで徳を得ることができる

その時を良いも悪いも全力で生きることができるのかなと思います

 


 

持つと客観的になってしまい、没頭しないばかりか、下手したら現実にしらけて、目の前にあるドラマを全力で生きることができなくなる

 

 

 

ヘタしたら怠慢に走る(笑)

 

 

どうせこんなもんでしょ、と生きる時間を増やす

 

 

 

ドラマを生きると言うことは、リアルにその状況に心を動かすこと

 

 

必死になること

 

 

 

必死にならなければ得られないものがあるなーと

 

 

必死になるから魂が磨かれる

 

 

汚れを落とせるんですねー

 

 

ちなみにヨーガ的には、これをタパスという

 

 

 

 

私が完全にドラマに生きていた頃

 

 

傍若無人、むちゃくちゃで人をたくさん傷つけた

一方の視点から見たら超悪い人

 

 

でも後悔はしていない

 

 

 

その時にスピ的なきちんとした知識があれば良かったのに

 

 

誰かおしえてくれたらよかったのにと思ったこともあったけど

 

 

知っていたら私は全力で悪い人を演じることができなかった

 

 

全力で演じることができるということはすごいことであると、今になって思う

 

 

もう一回やれと言われても

 

 

本当に全く記憶を消して生まれ変わらないとできないと思う

 

 

 

三昧の境地で得られる徳がある

三昧とは、その時そこにどっぷり浸かること

 

 

それを種にして、スピという栄養を与えることで、それは更に成長していく

 

 

そういう形で得た種が必要な時もあるのだと

 

 

今なら自信を持って言える

 

 

だから

例え嫌で嫌で仕方ない時も

 

 

その場は全力でやり切った方が良いんじゃないかな~と思う

 

 

今となっては多少楽に生きることに智慧がついてしまったので

 

時々全力を忘れる

 

というか今のそれが全力なんだけど

 

 

下手なサイクルに陥らずに、効率的に全力を出せることがわかってきたということかな

 

 

う~~ん

自画自賛❤️

 





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