すみません、、、今日は特別に。。。

私の親友である、キリカ・コージが、自身初の

心理ミステリーの極み的な「小説」を出しますので

ちょっと宣伝させてください。

 

以下に彼からの、「解説」を載せていますので

もしよかったら、読んでみてください。

 

きっと、ワクワクして下さると。思います。

 

ぜひ、お願いします。

 

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1982年-YOKOHAMA-。光と影のミステリー

 

はじめに---

 

なぜ、私の物語は“YOKOHAMA”という地に、そして“1982年”(昭和57年)という年に託されたのか。

 

それには、明確な理由がある。

 

あの年、日本はまるで花火のように眩い光を放ち始めていた。

松田聖子、中森明菜、小泉今日子

 

――テレビの向こうで笑う彼女たちは、国中に「未来は明るい」と信じさせる力を持っていた。

オフコースやサザンが奏でる音楽も、夜のドライブを甘いロマンに変えた。希望、夢、欲望――すべてが、少し手を伸ばせば届きそうだった。

 

だが、光が強ければ強いほど、影もまた、濃くなる。

 

昭和57年の日本には、確かにまばゆい輝きがあった。その一方で、時代の急行列車から、そっとホームに降ろされた人たちがいた。

戦前を知るシニア世代。そして、まだ自分の言葉を持たなかった中年の女性たち。彼女たちの“生きづらさ”や“孤独”は、当時の社会が見ようとしなかった、もう一つの現実だった。

私はその空気を、21歳の大学生として肌で感じていた。 それは、肌にまとわりつく湿気のような、甘く、それでいて不安な空気だった。

 

バブルの足音が確かに聞こえ始め、誰もが未来に酔いはじめる、その直前。そんな時代のざわめきの中で、私は、ある種の違和感と不安と、ほんの少しの官能に惹かれていったのだ。

 

物語の舞台は、YOKOHAMA―― 港の風が変わりはじめた都市。

漢字の「横浜」ではなく、ローマ字の「YOKOHAMA」。

そこには、“都市”が“風景”から“欲望”へと変貌していく、確かな兆しがあった。

『夜の真実』は、その光と影が交差する時代にしか生まれえなかった。 だからこそ、これはただのミステリーではない。

 

これは、“あの時代”を生きた私たちのための、記憶を巡る旅でもある。

 

第1章:光が日本を包みはじめた年

 

1982年――その響きは、今思い返してもどこか甘やかで、熱を帯びている。日本はまさに“上昇気流”に乗り始めた年だった。

 

景気は緩やかに回復し、街には活気があふれ、人々の目は未来を向いていた。

テレビをつければ、松田聖子の歌声が聞こえてくる。

「赤いスイートピー」は春の象徴となり、「渚のバルコニー」は恋する者たちの心に火を灯した。

中森明菜の艶やかさ、小泉今日子の元気さ――

彼女たちが微笑むたび、誰もが「今が一番輝いている」と信じて疑わなかった。

 

音楽は、もはや単なる娯楽ではなかった。それは、時代そのものだった。

私は当時、大学のキャンパスを歩きながら、ウォークマンでオフコースの「Yes-No」を何度も再生していた。

「今なんて 信じられない」――あの歌詞が、やけに心に染みたのを覚えている。

そして、サザンオールスターズが夏の匂いを詰め込んだメロディを流せば、空気が軽くなったような気さえした。

YMOは未来から来たような音を響かせ、テクノという新しい言語で都市と音楽を結びつけた。音は、すでに空間を支配していた。

 

特に「YOKOHAMA」という言葉の響きに、そのクールなリズムはよく似合った。

そう、僕らは「未来」という言葉を素直に信じていた。

 

バブル経済はまだ始まっていなかったが、その足音は間違いなく聞こえていた。

大学生だった私がアメリカへ旅行しただけで、周囲から心底羨ましがられた。

外国という存在が、まだ手の届かない「夢」だった時代。

 

YOKOHAMAという地は、その夢の“玄関口”のように思えた。

1982年という年は、日本にとって“光の年”だった。

 

だが、その光の強さが、のちにどれほど濃い影を落とすかを、私たちはまだ知らなかった。

ただ、この「希望に満ちた始まり」があったからこそ、次の章で語る「影」の存在が、よりリアルに浮かび上がるのだ。

 

第2章:光が強すぎたから、影は生まれた。― 誰も語らなかった昭和57年の“声なき声”

 

1982年の日本が、光に包まれた年だったことは間違いない。

だが、そのまばゆさの裏側で、確かに誰かが見えなくなっていた。

私は大学生として日々を謳歌しながらも、ふとした瞬間に「異物」として感じる空気を嗅ぎ取っていた。

 

街が眩しければ眩しいほど、その陰で足早に通り過ぎていく人々がいたのだ。

それは、戦前生まれのシニア層。そして、まだ家庭と社会の間で揺れ動いていた、中年の女性たちだった。

 

彼女たちは、メディアにも、物語にも、ほとんど登場しなかった。

まるで初めから、そこにいないかのように。テレビではアイドルが輝き、広告には若さが溢れ、雑誌は「これからの未来」を語っていた。だがその“これから”に、自分の居場所が見つからない人たちは、声を潜めていた。

 

私はときどき、商店街の端で時間をつぶす女性の姿や、バス停に座る老婦人たちの背中に、その「影」を見ていたような気がする。

社会全体が「明るさ」や「進歩」を推し進める時代。“生きづらさ”や“閉塞感”といった言葉は、まだ一般的ではなかったが、それに近い何かが確実にあった。

特に中年女性たちは、家族の中では母や妻という役割を求められ、社会に出れば「補助的存在」として見られ、自分自身の“居場所”を持ちにくかった。

 

この見えない不在感。

 

それは、“ミステリー”という物語ジャンルにとって、極めて重要な土壌となる。

物語の中で事件が起きるとき、それは必ず「見えなかったもの」が浮かび上がる瞬間でもあるからだ。

 

この小説『夜の真実-YOKOHAMA-』で描かれる謎もまた、当時の社会が見ようとしなかった人々の“声なき声”を、そっとすくい上げるような構造になっている。

ミステリーは、殺人事件だけではない。

誰かの人生が、時代の流れに押し流されるとき、それもまた一種の“失踪”であり、“消失”であり、“謎”なのだ。

 

昭和57年という年の「影」には、語られなかった感情、報われなかった努力、そして押し殺された愛や欲望が凝縮されている。

私はそれを物語として書くことで、ようやくあの時代に対する小さな“弔い”ができるような気がしている。

 

第3章:横浜からYOKOHAMAへ ― 変貌する都市と文学の接点

 

1982年、私は“横浜”ではなく、“YOKOHAMA”という響きを選んだ。

それは、単なる表記の違いではない。このローマ字表記にこそ、私が描こうとした時代の温度と質感が凝縮されている。

 

あの年、YOKOHAMAという街は、確実に何かが変わり始めていた。

1982年5月、国際連合アジア太平洋都市会議が横浜で開催され、街の空気がにわかに「国際化」という言葉に染まり始めた。

 

海の向こうを意識し、世界を受け入れる都市へ――

その兆しは、街の看板や広告、ファッション、そして人々の言葉遣いの端々にまで滲んでいた。

この変化を最も象徴していたのが、やはり「音楽」だった。

オフコースの旋律や、サザンのリズムの中に、私はYOKOHAMAという街の“切なさ”と“広がり”を感じ取っていた。

 

それはもう、かつての「開港都市・横浜」ではなかった。

漢字の「横浜」が持つノスタルジーと、ローマ字の「YOKOHAMA」が持つ、どこかドライで、無機質な未来感。その境界線に、僕の物語は生まれた。

私自身も、前年にアメリカ旅行を経験し、戻ってきたときの違和感を今でも覚えている。

「世界は広い」と知った直後の“日本”は、どこか静かで、整いすぎていて、だからこそ、横浜の異国情緒に惹かれたのかもしれない。

 

“YOKOHAMA”という言葉には、私にとって「移行」と「憧れ」が同居していた。 そして、そこには同時に「諦め」と「感傷」もあった。

ノスタルジーに沈む“横浜”と、未来へ走る“YOKOHAMA”――この二つの都市が交錯するその刹那こそが、ミステリーの舞台として最高に相応しかったのだ。

 

物語は、常に“境界”で生まれる。 現実と虚構、過去と未来、自己と他者――YOKOHAMAは、それらすべての交差点だった。

 

第4章:夜の止まり木、BAR「KURONEKO」。― 嘘と真実が溶け合う場所

 

物語の核心には、必ず「場所」がある。

『夜の真実-YOKOHAMA-』において、その場所は“BAR KURONEKO”だ。

ここは、ただのバーではない。 これは、1982年という時代の“ゆがみ”や“余白”が、ぎゅっと凝縮された「舞台装置」だと私は考えている。

 

YOKOHAMAという都市の中でも、特に人の記憶が交差する場所――

 

灯りは少し暗め、BGMにはジャズやシティポップが流れ、カウンターには年齢も職業もまるで異なる客たちが座っている。ある人は過去を語り、ある人は未来を嘆き、誰かはただ黙ってグラスの氷を見つめている。

 

そう、このバーには「言葉にならない感情」が沈殿しているのだ。

そして何より重要なのは、この空間に“女”がいること。 それもただの女性ではない。

1982年当時、社会のなかで微妙な立ち位置にあった、40〜60代の女性たち。家庭のなかでも、職場のなかでも、“誰かの何か”であり続けなければならなかった彼女たちが、唯一、自分自身でいられる場所。

 

BAR KURONEKOは、そんな「仮初めの自由」の象徴でもある。

少しのアルコールと、夜の帳が下りる静かな時間。

誰もが本音を隠さなくなるその瞬間に、ミステリーの火種はふっと灯る。

この場所は、まるで“嘘と真実”が溶けあう液体のようだ。

 

だからこそ、謎はここから始まり、そしてここで終わるしかないのだ。

YOKOHAMAの片隅に、もしこのBARが本当にあったなら、私たちの誰もが、人生のある夜に一度はその扉を開けたかもしれない――

 

そう思わせるだけの“リアル”を、この架空の場所に宿したかった。

このBARは、1982年という“光と影”の時代が生んだ、最も静かで、最も熱い舞台なのだ。

 

この物語が「今」語られるべき理由

1982年という年は、ただの過去ではない。

それは、光と影、夢と現実、希望と孤独がせめぎ合いながら、人々が「どう生きるか」を必死に模索していた時代だった。

 

私にとってその年は、音楽が響き、都市が動き、そして心のどこかに穴が空いたような、不思議な季節だった。

YOKOHAMA――この言葉には、そんな時代の匂いが染みついている。

モダンで、エロスがあり、どこか哀しみを含んだ都市。

そして、その片隅にあるBAR KURONEKOという場所には、昭和57年の空気がまだ息づいている。

 

『夜の真実』は、そんな都市と時代を背景にした物語だ。

だが、それは決して遠い記憶ではない。

今もなお、私たちの中には「あのとき言えなかった言葉」や「見なかったふりをした真実」が眠っている。

だからこそ、この物語を今、語る意味がある。

これは、ただのミステリーではない。

 

これは、私たちが置き去りにしてきた“感情”を拾い上げる旅なのだ。

もし、あなたの心にも「言葉にならなかった記憶」があるなら――

 

ぜひ、『夜の真実-YOKOHAMA-』を読んでみてほしい。 あなたの知らなかった昭和57年が、 そして、忘れていたはずの自分自身が、 この物語の中で静かに目を覚ますかもしれない。