いやぁ、ほんとうにね・・・

 

 

今日は少しだけお叱りを受けるかもしれないので・・・

あらかじめ謝っておきます。

 

 

「ごめんなさい、流行に意見する気なんて毛頭ないんだけど」

 

 

「へぇ、こんな奴もいるのか」って軽く思ってもらえれば

いいかな?と、思います。

 

 

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今、ネット上のいろんなところで話題となっている

「生成AI画像」について、私の個人的な思いを。

ほんの少し。

 

 

特に最近、特定のジャンルが熱狂的に支持されていることには、

正直なところ、私も共感しています。

 

 

だって、私も男だから(笑) 爺さんだけどね。

 

でもね、ほんの一瞬だけど、時折、疑問に思うこともあります。

 

まぁ、ここまで書けばだいたいどんな話か想像つくよね?

 

 

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今、世界が熱狂するAIが生成する画像・・・


このステキなシステムを開発した技術者さたちは、

今のような熱狂的な未来を夢見て

 

この素晴らしい技術を生み出したのかなぁ?って、

 

考えすぎですか?(笑)

 

 

この文字を書いたらもう絶対に叱られそうだけど、、、

 

お叱り覚悟で敢えて書くんだけど・・・

 

 

「理想的な可愛い女の子のパンツを生成する」ことって、

 

 

本当にこの技術の“価値”なんでしょうかね?

 

 

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私は否定するつもりは毛頭ないですよ。

自由だし、ニーズがあるからシーズがあるわけだから。

 

 

実際、多くの人々がこの現実を求めていることも理解しています。

 

さらに言うなら、

この分野はお金になると、参入する人も

たくさんいる、その事実もわかっています。

 

 

「じゃあ、お前は見たくないのか?」って言われたら(笑)

 

あははは、そりゃあ、爺さんだって興味、ありますよ。

とーぜんですwww

 

 

さらにこれも意見として当たり前だとおもいます、

 

「嫌なら見なきゃいい話だろ!」という意見も、

 

「正論」として受け入れています。

 

 

でも、それでもなお、私は「何かしらの違和感」を抱いてしまっていて。

 

 

時代に逆行することもわかっていて、さらに、

この小さな「欲望」からのみんなの挑戦?から、

 

また、何かしらの新しい可能性が生まれることもあるんだろうなと。

新しい価値の始まりは案外こんなところから生まれるんだよねって。

 

そんな思いも含めて、偉そうに語ってます。。。はい。

 

 

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要は、「人が技術に何を宿すか」

 

そしてその先に、誰かに“何かを届ける”ことができるのか。

 

 

まぁ、理想ばかりじゃ生きてはいけないけど、、、

 

私はこの素晴らしい技術、AIが

 

「こころの片鱗を映す道具」になったら素敵だと思っています。

理想ですよ、理想。

 

 

だって、AIの出現で「脅威」感じているクリエイターとか、

ビジネスパーソンはいっぱいいます。

 

 

そして、AIを使って、或いは活用して「じゃんじゃん稼ぐ」

チャレンジャーやフロンティアがすでに活躍してることも知っています。

 

 

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こんないろんな背景がありつつも、

さらに、これが時代の転換期の過渡期であることも

静かに認めたうえで言ってます。

 

 

これは古い人間のたわごとかもしれませんね。

 

 

だけど、技術が「誰かの想い」に使われた時──

そのたった一枚の画像が、もっと別の意味で

「人の心を動かす日が来ること」を、私は心から願っています。

 

 

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私も男だから(しかもおじいちゃん)、

 

そりゃあ、「理想的な可愛い女の子のパンツ生成画像」

 

あははは、「見たい」と思う気持ちは、正直ありますよ。

 

 

だけどねぇ、そんな形で、そんな空気の中で、

それが拡散されていくのを見ていると、

何かどこかに「ざらつき」を感じてしまうんです。

 

 

だってね、きっと、その画像を「苦手とする女性」もいるでしょうし、

それが当たり前の光景として育つ子供たちも、やがて大人になるし。

 

ほんとにそれでいいの?って。

この世界線はありなんだろうかと・・・

 

 

「嫌なものは見なきゃいい」

 

「そりゃあ、需要があるから自然に生まれたんだから」

 

「それってさ、人間の本能の産物だろ?」

 

 

きっとこんな反応をもらうんだろうなって思ってます。

 

──それは確かに正論です。

 

 

しかし、見たくない人が“見せられる側”になってしまった時、

 

その正論はどのように響くのでしょうかね。

 

 

私は、それを責めるつもりはありません。

「やめろよ」なんて絶対言いません。

 

 

ただ、「もう一つの視点」があるんじゃない?っていう思いを、

そっとここに置いていきたいと思います。

 

 

それが、私なりの“届け方”なので。

 

というか、私は極端に「争うことが嫌い」だから、

これが時代に反旗を翻す言論だなんて言うつもりは、1ミリも、

ほんとうに1ミリもありません。

 

 

むしろ、すごいなぁ!って尊敬すらします。

ホントですよ。

 

 

昭和の爺さんの、ちっぽけな一石かもしれません。

 

しかし、それでも私は

 

──今夜、これを投げてみたいのです。

ただ、それだけです(笑)

 

 

楽しんでるみんな、ごめんね。。。

 

ホント不愉快になったらごめんね・・・