こんにちは、ストレスレスな育児論を伝える現役保育士のかなりんです。
もう6年も前になりますが
里山で親子参加型の森のようちえんを主宰していたことがあります。
その時のエピソードをご紹介します。
ある子がお友達をたたいちゃって泣かせちゃったんだけど
その時にお母さんから
「お友達を叩いちゃった時、どう声かけしたらいいかなぁ」と質問されたのですが
それについて家に帰ってから思うことがあったので
ブログでまとめてみますね。
その時には
「だいじょうぶ。叩いちゃった時、何か感じているはずだから。
何か言おうとしなくてもだいじょうぶ。
でも相手の気持ちを代弁したり、ママの気持ちを伝えるのはいいね」
というようなことを簡単にお話したけど
その背景の説明が必要だと思いました。
子育てって、子どもは何もしらない存在で親は教えてあげなくちゃいけない
というのが今までの常識だった、いや今でもそう思っている人も多いのかもしれません。
「しつけ」というのがまさにそれ。
確かに世の中のルールは(交通ルールとかマナーとか)
そういうものは子どもは「知らない」ことが多いので
親はその都度、教えてあげる必要があります。
でも、道徳的なこと、人間性のようなもの
それは子どもたちはもともと知っている、持っているように思えてならないのです。
人に笑ってもらえたら私もうれしい
人が悲しんでいたら私もかなしい
人にありがとうと言われたらうれしい
人にやさしくされたらうれしい
人に大切にされていないと感じたら悲しい
そんなようなこと
人類普遍の根底にあるもの
それは魂のレベルでもともと知っているものだから
わざわざ人から教えてもらうようなものではないと感じるのです
というのも、赤ちゃんや乳幼児をみていると
私たちよりも、とてもシンプルに人間的で
心地よいもの、心地よくないものについて
本能的に敏感なように思えるのです。
だから、お友達を叩いちゃった時、
ましてやお友達がそれで泣いちゃった時
「あ、まずいな。これ悪いことしちゃったな」と感じているんじゃないかと思うんです。
何も言葉で表現していなくても。
何かを感じ取っていると思うんです。
思いたいんです。
私は小さいときの記憶がけっこう鮮明にあります。
3歳下に妹がいます。
幼児のとき、年長さんくらいだったかな
妹をよく叩いて怒られていました。
何度も何度も。
いくら怒られてもやめない。
というかやめられなかった。
叩くことは悪いこと。
充分分かっていた。
でもやってしまう自分がもっと悪いと自分を責めた。
怒られるたびに自分がダメだと思い自分を責め続けた。
叩くのは悪いこと。
それは分かってる。
でもどうしたら叩かないでいられるのか分からなかった。
行動をコントロールできなかった。
そんな自分をどんどん嫌いになった。
叩くのをやめられなかった。
いくら怒られても叱られても。
私は変われなかった。
そしてそんな自分を責めた。
そんな記憶がふっと沸き上がりました。
悪いことは分かっている
それなのに「あなたのその行為は悪いことです。やめなさい」
と言われると、その行為のことを言われているとしても
その行為をしてしまった自分を責めてしまうのです。
わたしが自分責めのクセがある子どもだったから尚更かもしれませんが。
分かっているのにやってしまう、そのことが困っているのに
それは「ダメだよ」と言われただけでは
子どもはどうしていいか分からなくなってしまうのです。
だから今は私はこう思います。
おともだちを叩いてしまった時には
「○○ちゃん(叩かれた子)、泣いてるね。痛かったんだね」
と相手の状況を客観的に伝え一緒に状況を客観視する。
さらに踏み込めば
「○○ちゃん、どんな気持ちかなぁ。悲しかったかな」
と一緒に想像してみる。
それから叩いてしまった子の気持ちも聞いてあげる。
たとえばおもちゃの取り合いなら
「■■くん(叩いてしまった子)も欲しかったんだね。
でもたたいちゃったね。たたかなくてもお口でもお話することもできるね。
ほかにもたたかないやりかたがあったかもしれないね。
たたいちゃってどんな気持ちがしたかな?」
このやりとりはどこまで丁寧にやるかは年齢にも寄りますが、
一緒に解決策を考えてくれる、お母さんは味方なんだという
メッセージが伝わるようなやりとりができたら
理想だなと私は考えます。
ただでさえ「悪いことをしてしまった」と緊張している子に
「お母さんから責められている」⇒「自分は悪い子だ」
という認識を植え付けないようにしてあげたいと思うのです。
幼児期に一番あたえてあげたいことは
自分は無条件に大切な存在だ。
なにをしてもしなくても尊い存在。
じぶんはじぶんでいいんだという自己肯定感。
自分がしてしまったことについて
「正しさ」を主張して「責めること」よりも
今、こんなことをして、相手はどう思って、こんな不都合が生じている。
と一緒に客観視してあげて
今の行為はまずかったから、じゃぁどうすればいいか一緒に考えてみよう。
そんな姿勢でいてあげたいと思うのです。
そうすれば、自分の存在にバツをつけることなく
自分の行動を客観的に見て、失敗を次に生かすことができると思うのです。
ああ、今回はこれがダメだった。だったら次はこうすればいいじゃないか!
これこそ「生きる力」だと思うのです。
自分を責めることだけだと前に進むことができません。
いつまでもウジウジ・・・
ああ、昔の私です(今もあります(笑))
私がとても尊敬する保育者の言葉に
「子どもを叱ったり責めたりしても子どもは決して変わらない。
子どもが変わるときは、その子が大切にされていると実感したときだ」
という言葉がある。
要所要所にこの言葉を思い出す。
私が目指す保育はここだ。
常に私はあなたの味方だよ。
困ったことがあるなら一緒に考えよう。
そんなふうに子どもと関わっていきたい。
お友達を叩いてしまう
叩かないようにしてほしいときは
まずは叩いてしまったその子の気持ちも大切にしてあげる。
分かってもらえた!大切にしてもらえた!
とその子が感じたら
その子の力で気付いていける。
相手のことを想いやれるようになる。
そう信じています。
なかなか現実はとっさのことで難しいんですけど・・・
毎日、修行です。