今年、父を亡くしました。

人生の中でも、かなり大きな出来事だったと思います。

私自身も、そう受け止めていました。


そんな中、先日、今年を振り返る場で、
友人から伝えられた一言があります。

「それだけのことがあったのに、
 なおみん、全然崩れなかったよね」

その言葉を聞いたとき、

「あ、確かにそうだ」と、

ハッとしました。

 

 

確かに、私は崩れなかった。

 

父を亡くしたあとも、

仕事ができなくなることはなかったし、

日常が止まってしまうこともなかった。

それが特別なことだとは、

正直、思っていませんでした。

 

もちろん、平気だったわけではありません。

突然、涙があふれてくることもあるし、

父のことを思い出して、胸がぎゅっとなる時間もたくさんあります。

それでも私は、悲しみの中に沈みきってしまうことなく、

日常に戻ってこられていました。


仕事があることを「ありがたい」と感じ、

支えてくれる人たちの存在にも、

自然と目が向いていました。

友人の言葉をきっかけに、

私は初めて、そんな自分に気づいたのです。

 

 

もし、これが数年前の私だったらどうだっただろう。

 

きっと、気丈に振る舞おうとして、

感情を押し込めていたか、

もしくは逆に、不安や悲しみに飲み込まれて、

立ち上がれなくなっていたと思います。

 

私はずっと、

 

「ちゃんとしなきゃ」

「迷惑をかけちゃいけない」

 

と思いながら生きてきました。

自分の気持ちより、

周りの空気や期待を優先するのが当たり前だった。

 

その結果、表面上は問題なく過ごしていても、

心の中では小さなモヤモヤが積み重なっていました。

 

「私ばっかり我慢してない?」
「私の人生このままでいいのかな」

 

そんな声を聞かないふりをしながら、

日々をやり過ごしていた時期もあります。

 

 

学ぶことも、たくさんしてきました。

 

本を読んだり、

講座に参加したり、

「なるほど」と思うことは何度もありました。

でも、その場では前向きになれても、

気づくとまた元に戻っている。

 

そのたびに、

「やっぱり私は変われないんだ」と、

どこかで自分を責めていました。

 

振り返ってみると、
私はずっと「変わろう」としていたのだと思います。

 

もっと前向きにならなきゃ。
もっと強くならなきゃ。
もっとちゃんとしなきゃ。

 

でも、本当に必要だったのは、

何かになることではなく、自分に戻ることでした。

 

今の私は、出来事そのものよりも、
それをどう受け取っているかに目が向くようになりました。

 

一つの見方だけが「真実」だと思っていたときは、
感情も、そちら側に大きく傾いていました。

 

けれど、別の側面にも気づけるようになると、
気持ちは、不思議と落ち着いていきます。

 

無理に前向きになる必要も、

感情を抑える必要もありません。


ただ、見えている世界が広がっただけでした。

 

それは、強くなったからでも、

前向きだからでもありません。
ただ、「今の自分がどんな状態か」に

気づけるようになっただけでした。

 

無理をしていないか。
我慢を重ねすぎていないか。
本来の自分から、少し離れてしまっていないか。

 

そんな問いを、

日常の中で自分に向けられるようになったことが、

私にとっての大きな変化でした。

 

 

 

人生には、避けられない出来事があります。

 

どれだけ準備していても、

どれだけ学んでいても、

大切な人との別れはやってくる。

 

そのとき、感情が揺れるのは自然なことです。

でも、心の土台があるかどうかで、

その揺れ方は変わります。

 

折れないことよりも、
揺れても戻ってこられること。

 

今回の出来事を通して、

私は、自分の中にその感覚が根づいていたことに、

あとから気づきました。

 

 

もし今、この記事を読んでいるあなたが、

 

「大きな不満はないけれど、どこか息苦しい」
「このままでいいのかな、と感じることがある」

 

そんな状態にいるとしたら、

それは弱さではありません。

むしろ、ちゃんと生きてきたからこそ、

感じる違和感なのだと思います。

 

人生を立て直す必要はない。
ただ、自分の人生に戻ってくればいい。

今回、私が失わなかったものは、

特別な何かではありませんでした。

自分のあり方と、
自分の日常と、
自分の人生。

それらを、ちゃんと手放さずにいられたこと。
それが、今の私にとって何より大切なことだったのだと思います。

 

私の土台を作って

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