SNSには、昔出会ったまま

時間が止まっている“友達”がいます。
連絡をしようと思えばできるのに、

しないまま何年も経ってしまった人。


その存在をふと思い出すと、

「私はこのつながりをどうしたいんだろう」と、

どこかモヤッとした気持ちになります。

 

韓国出身のAさんも、そんな存在のひとりです。

 

あの頃、とても近くに感じていた人

韓国出身のAさんと出会ったのは、
私が社会福祉士の資格を取るために通っていた

通信制のスクールでした。

スクール卒業後、先生から声をかけてもらい、

こっそり会社に内緒でスクーリング運営の

アルバイトをしていた時期があります。


そのとき、一緒にスタッフとして働いていたのがAさんでした。

年齢も近く、明るくて、日本語も上手で、

とても可愛らしい人でした。
休憩時間に一緒にご飯を食べたり、
「イケメンいないかな?」なんて、

密かにウォッチし合ったり(笑)。
深い友情というより、

“一緒に働く時間が楽しかった” そんな関係でした。

 

自然に途切れたつながり

アルバイトの期間が終わってから、

私たちは連絡をとらなくなりました。
喧嘩したわけでも、

気まずい理由があったわけでもありません。
ただ、日常がそれぞれ動き始めていく中で、

声をかけるタイミングがなくなっていっただけ。

 

こういう自然消滅って、ありますよね。


「またね」と言いながら、

そのまま“また”が来ない人。
でも、だからといって消えてしまうほど軽い存在でもない。

その微妙な距離感のまま、

Aさんはずっと私のFacebookに残っていました。

 

SNSの「つながっているのに、つながっていない感じ」

Facebookでは“友達”としてつながっている。
だけど、メッセージを送ったことはない。
Aさんの投稿もいつの間にか止まっていて、
画面の向こう側でどんな生活をしているのか、

私は何も知らない。

 

ただ、SNSの「つながり」という仕組みが、
半端に縁だけを残してしまうことって、ありますよね。

 

“切れてはいない。
でも、続いてもいない。”

 

そんな宙ぶらりんな感じ。

 

心に残っていた“小さなつながり”

ふとAさんの名前を見かけた日、

突然、懐かしさが胸に広がりました。

 

「あの頃、楽しかったな」
「元気でいるのかな」
「アメリカ人の彼ができたって聞いたけど、どうしたかな」

 

昔は、海外の友達とやり取りするにはハードルがありました。
英語やハングルの投稿を見ると、
「どう返せばいいかな」と迷ってしまったり、
辞書を引くほどの気力が出なかったり。

 

「返事をするのに少し時間がほしいから」
「言語が苦手だから」


そんな言い訳が、

自分を守る“クッション”になっていたのだと思います。

でも今は、自動翻訳が一瞬で助けてくれる。
こちらが言い訳する隙なんて、もうほとんどありません。

 

——だからこそ、ふと思ったのです。
じゃあ私は、本当はどうしたいんだろう?

 

連絡する?しない?その選択に“正解”はない

連絡してみてもいいし、

このまま思い出としてそっとしまっておくのもいい。

たぶん、どちらが正解ということではないのだと思います。
でも選択の前に、

一度 “自分の気持ち” に向き合ってみることは

大切だと思うのです。

  • なぜ思い出したのか

  • なぜ気になったのか

  • 何がモヤモヤしているのか

その答えに触れたとき、過去の出来事ではなく、
“今の私の気持ち”が浮かび上がってくるような気がしました。

 

細い糸で繋がっているご縁

SNSには、過去の誰かとの“未完のつながり”が残っています。
その人たちと、もう一度つながり直すのか。
それとも、思い出としてそっと胸に置いておくのか。

正解はどちらでもありません。


大切なのは、「私はどうしたい?」という自分の声。

 

韓国出身のAさんを思い出した日のモヤッとした気持ちは、
きっとその声に気づくためのサインだったのだと思います。

 

あなたなら、どうしますか?