平日の午後のこと。わたしは地下鉄の座席に腰を下ろしていました。
人はまばら。ぼんやりとスマホから流れる音楽を聴いていると、九段下に到着。
ドアの開閉音につられて、ふとそちらに目を向けてみる。なんだか見覚えのあるシルエット。
あれ?と思う間もなく、目に飛び込んできたのは...
思わぬ出会いに心臓が跳ねる
テレビで何度も見た、大好きなお笑いコンビKのMさんだったんです。
心臓が「どくん」と大きく鳴りました。まさか、こんなところで。しかもこんな至近距離で。
目の前の席に座ったMさんから、咄嗟に視線をずらします。
「じろじろ見ちゃダメ。でも、見たい。いや、でも、ダメ!」
――そんな葛藤で、頭の中がぐるぐる回っていました。
ただ、そこに“いる”だけで
心のどこかで「見ちゃいけない」と思っているのに、視線は勝手に引き寄せられる。テレビで見るよりずっと静かで、優しい雰囲気をまとっていたMさん。
声をかける勇気なんて、もちろんない。けれど、あの場の空気がふわっと変わったのを確かに感じました。
わたしは「知らんぷりモード」を全力で発動。
スマホを顔の真正面に持ってきて、いかにも「画面見てますよ~」という体で視線を微妙にずらし、Mさんの様子を確認するという、ちょっと怪しい技を使っていました。
子どもの頃からお笑いが大好きだったわたし。
大人になってからは、彼らのコントを見て笑って、救われた夜がいくつもありました。だからこそ、ただそこに「いる」だけで、なんだか嬉しくて胸が熱くなりました。
言葉のない3秒の会話
内心は完全にお祭り騒ぎ。でも外側は、あくまで平静を装うこと数分。高田馬場に着くアナウンスが流れ、Mさんが何やら動き出しました。
ポケットに手を突っ込んだり、鞄を持ち直したり、その動作のひとつひとつが自然で、画面の中の「芸人Mさん」ではなく、みんなと同じように「生活している人」の姿でした。
わたしは相変わらず知らんぷりを続けながらも、心の中では「どうしよう、もうすぐ降りちゃう」と落ち着きません。
彼がいよいよ降りようと立ち上がった、その刹那――
目が、合いました。
たぶん3秒くらい(いや、1秒だったかも)。でも、その短い時間に、何かが確かに伝わりました。
「気づいてくれて、ありがとう」
「いつも見てます!がんばってください!」
「うん、あなたもね」
確かにそんな会話を交わしました、わたしの中では(笑)。
ほんの一瞬の出来事だったのに、心がふわっと温かくなって、少し泣きそうになりました。Mさんの口元が少しだけゆるんだようにも見えて、そこから“やさしさ”が伝わってきたんです。
言葉より前に、伝わっていること
ドアが閉まり、電車が動き出しても、その余韻はしばらく消えませんでした。
人って、言葉を交わさなくても、こんなにたくさんのことを感じ取るものなんですね。Mさんからすれば、わたしがこんな感情になっていたなんて、想像もしなかったでしょう。
わたしたちは、仕事でもプライベートでも、つい「うまく話さなきゃ」「ちゃんと伝えなきゃ」と思いがちです。でも本当は、言葉を発するより前に、すでに何かを伝えている。姿勢、表情、空気感――その全部が、メッセージなんですよね。
あの3秒が教えてくれたのは、まさにそれでした。「伝える」の本質は、言葉の前にある“自分のあり方”から始まるんだと。
誰かの一日を変える力
わたしたちは毎日、たくさんの人とすれ違います。職場で、カフェで、電車の中で。たった一瞬でも、そのまなざしや表情ひとつで、誰かの心を温めたり、逆に傷つけることもできる。
つまり、“伝える”って意識していないところでも日々起きているということ。
眉間の縦皺より目尻の横皺、への字より逆への字の口角。そんな顔で過ごせたら、誰かをちょっと幸せな気分にできているかもしれません。
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