「この部屋には、美しいものが何もないだろう? 妙に、ほっとするんだよ。」
映画『国宝』の中のこのセリフに、思わず動きが止まりました。
それまで絢爛豪華な歌舞伎の世界に没入していたんですが、なんだか、すっと肩の力が抜けたような気がしたんです。
そう、"美しい" ってちょっと疲れるんですよね。
美しさにこだわる毎日
わたし自身、若い頃は「美しさ」にかなりこだわって生きてきたと思います。
着るもの、持つもの、部屋のインテリア、言葉や所作。
どこかで「整っていること=ちゃんとしていること」と感じていたし、そうあるべきだと思ってきました。
SNSでは、「整った部屋」や「丁寧な暮らし」が当たり前のように流れてきます。
そこにいる美しい人たちを見るたびに、もっと整えなきゃ、もっと磨かなきゃと、何かに追われているように焦る。
「手間暇かけていない=だらしない」と思われるのが怖くて、ついつい自分を詰めてしまう。
でもそれって、「誰かに見せる」前提で、とても窮屈なことだったんです。
完璧じゃない自分を、少しずつ許す
映画の中で、「美しいものがない部屋」に安心すると語る主人公を見て、考えました。
「わたしが本当に安心できるのは、どんな空間?」と。
答えは実にシンプルでした。
何も飾らない、何も映えない。ちゃんとゆったりと呼吸ができる。無理に整えようとしなくても、ほっとできる場所がいい。
美しさを否定しているわけではなく、「美しさに縛られすぎない」ことが必要。
美し過ぎると緊張して、疲れちゃうから。
「足す」より「そぎ落とす」美しさ
20代、30代の頃は、「どう見られるか」に強く意識が向いていました。
40代になってようやく「自分がどう感じるか」に目が向くようになってきたんだと思います。
今のわたしは、「今日はこれを着たいな」「この空間が落ち着くな」という "感覚" を優先するようになりました。
それはきっと、わたしの中で美しさの定義が変わったから。
見たよりも、気持ちの余白や安心感に、美しさを感じるようになったんです。
若い頃は、「足して、盛って、磨いて」ようやく自信が持てたけれど、今は「そぎ落として、さらに削いでみて」やっと求めていたものにたどりついて満足する。
“誰かに褒められるための美しさ”より、“自分が心地よくいられる美しさ”。
その方が、長く続くし、なにより疲れません。
本当に大切なものは、飾らなくても伝わる
きっとわたしたちは、これまでたくさんの “きれいに見せる努力” をしてきました。
もちろん、それは必要なときもあるし、決して悪いことじゃない。
でも、むしろ、少し肩の力を抜いてるときの方が、その人の本来の魅力が伝わるのではないでしょうか。
わたしも "ありのままの自分" を好きになってからは、肩の力が抜けて、いい感じに大人のリラックス感を醸し出せている気がします(笑)。
「美しさ」から少し距離を置いてみると、本当に大切なものが、静かに浮かび上がってきます。
あなたが「妙にほっとする」と感じるのは、どんなときですか?もしかしたら、そこに今のあなたにとっての「美しさ」が隠れているのかもしれません。
最後にとっておきの方法をご紹介
ほっとするといえば、「自分らしいファッション」ができた時にも感じます。
Tシャツにデニムでも、自分で「よし!」を出せた時はすっかり安心するものです。
そんな「自分らしいファッション」が見つかるとっておきイベントがあります。
今年で6回目!
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毎年夏の期間限定「大人の部活動」として、楽しんでいただいております。
お読みいただきありがとうございました!