感情をあらわにする人を見ると、つい身構えてしまう経験ありませんか?
例えば、会議中に突然泣き出した先輩を見て、「ええぇ…」と心の中で引いしまうとか。(実体験です)
わたしは、自分の感情をむき出しにする人が苦手でした。
怒りを飲み込んで笑顔をつくる、悲しみをごまかして何事もなかったようにふるまう。
それが "思慮深い大人" だと信じてきたから。
でも、それって本当?
今回は、長年「良い人」を演じ続けてきたわたしの体験からわかったことを、お伝えしたいと思います。
感情を我慢するクセの背景
「感情は見せないほうがいい」
そんな無言のメッセージを、わたしたちはいつの間にか受け取ってきました。
子どもの頃は、「もう、泣かないの!」「そんなことで怒っちゃだめ!」と言われ、 大人になってからは「空気読んでよ」と諭される。
そうやって、“感じたことを出すよりも、抑えるほうが大人”という価値観が染みついてきたんだと思います。
気が付けば、素直に感情を出すことが “わがまま” や “未熟” だと思い込んでいる40代になっていました。
あなたはどうですか?
“優しさ”と“我慢”は別もの
「わたしが我慢すれば、場がうまく回るから」 そうやって、自分の本音を引っ込める。
たしかに、相手を思っての行動かもしれません。
でも、それが続くと“優しさ”は“自己犠牲”へとすり替わってしまいます。
たとえば、頼まれごとを断れずに後悔したこと、気乗りしない飲み会に参加して疲れたこと、心当たりはありませんか?
「わたしだけが我慢している」という思いが、"知らず知らずのうちに" 溜まっていくのです。
これが本当に恐ろしい点で、本人にはその自覚がないんです。
やがてコップの水が満杯になって、最後の1滴が落とされたとき…。
わたしは街中で「もう!嫌なことばっかりだよ!」と突然泣き出すという醜態をさらした過去があります。(ヤバいですよね 汗)
我慢して「いい人」を演じ続けると、必ず限界がきます。
それは負の感情となって、今まで気遣ってきた何倍もの大きさで、相手を傷つけてしまうことにもなり得るのです。
本当の優しさって、相手にだけ向けるものではなく、自分にも向けるものだったんですね。
伝える方がずっと難しい
怒ったり、悲しんだり、妬んだり。
そういった感情は人として自然なものです。
「感情を表に出すと面倒に思われる」と不安になるかもしれませんが、 それを見せることで、相手との距離が近づくこともあります。
たとえば、「それはちょっとモヤっとした」と伝えてみる。「今日はちょっと疲れてる」と素直に言ってみる。
以前、同僚にそう言ってみたら、「実はわたしもそう思ってた」と返ってきて。
その日は早くに切り上げて、二人で飲みに行きました。
実は、抑えるよりも、伝える方がずっと難しいんですよね。
大人になった今だからこそ、自分の感情をうまく伝えることに重きをおいています。
「感情を出せるわたし」で生きていく
感情を出すのが怖いと思ったら、まずは自分の気持ちを“ただただ観察”してみてください。
「今、悲しいんだよね」
「怒ってるのは寂しいから」
自分の中にある小さな声をすくい上げるだけでも、少しずつ心がほどけていきます。
最初は、言葉にするのが難しいかもしれません。
でも、慣れてくると、 だんだんと自分の感情パターンに気付いてくるはずです。
例えばわたしの場合、「ルールを守らない」ことに怒りの感情を覚えやすいのですが、突き詰めると「自分が大切にされていない」と感じていることがわかりました。
これは大発見!おかげで、2つの間に因果関係がないことを理解できたのですから(そもそも何故そう思い込んでいたのか、謎ですよね…)。
日々少しずつでも意識できるようになると、心の輪郭がはっきりしてきます。
それが、「本当のわたし」とつながって生きるということなのだと思います。
おわりに
我慢してきたのは、優しさのつもりだった。
でも、自分を犠牲にしてまで続ける優しさは、どこかで無理がきます。
感情を出すことは、自分と正直に向き合うための一歩。
怒ってもいい、泣いてもいい、どれも、わたしの大切な一部です。
それを認められないわたしが、どうやって人にやさしく出来るのでしょうか。
40代で「わたしさえ我慢すれば」を卒業できたわたし。
自分自身を大切にするところから始めて、「ほんとうの優しさ」を育んでいる最中です。
50代になったら、もっと自由に、もっと軽やかに歩いていこうと思っています。
お読みいただきありがとうございました!