「お金が欲しい」って思うとき、なんだかモヤモヤした気持ちになりません?

 

最近、「お金を欲しがるわたしは卑しい人間だ」的な話題が出て、そうだよね、そういう気持ちになるんだよねって、思い出しました。

 

わたしも昔は、お金のことばかり考えていましたので🤣。

 

守銭奴?いや、違う。

 

貯めることには執着していなかったので、まぁ確かに「卑しい」ってことですね。

 

 

 

「卑しい」って、どういう意味?

 

まず、「卑しい」という言葉を辞書で引いてみました(ネットだけど)。

 

あ、ちなみにわたし、言葉に関してはビビりなので、世に放つときは必ず辞書引きます。

 

身分・社会的地位が低い。 

品位に欠けている。下品だ。 

貧しい。みすぼらしい。 

飲食物や金銭に対して貪欲である。さもしい。 

つたない。とるに足りない。

出典:goo国語辞書

 

わー。なんかきっついですね😭。

 

おそらく、お金のことで自分を卑しいと思っちゃっている人は、4とか、2とかもあるのかな。

 

でもね、お金に貪欲で何が悪いんですか?

 

お金欲しいって思ったら、品が無いですか?

 

一生懸命子供のために働いているお父さん、お母さんはさもしいんでしょうか?(さもしいは自分で調べてください📓)

 

 

そう、そこじゃないんだな。

 

そこはわかってますよって話ですよね。

 

「わたしは自分の欲のためにお金を欲している」人が陥ってしまう暗黒面なんですよね。

 

わたしなんて、「いかに短時間で高額を稼ぐか」を考え抜いて「講師業」を選んだんだ女ですから。

 

なぜなら、欲しいものがいっぱいあったから!

 

稼いでは使い、稼いでは使いを繰り返していると、欲まみれの卑しい人間に思えてきますよねぇ...。

 

 

 

 

 

お金は労働の対価であり社会に還元もしている

 

何も悪いことはしていないわけです。

 

だって、ちゃんと働いているんですから。

 

自分の時間や能力を、お客さまのために使った結果として得られるものですよね。

 

会社員として働けばお給料をもらいますし、個人事業主として仕事をすれば、クライアントさんから報酬をいただきます。

 

これって、自分の労働に対する正当な対価ですよね。

 

余談ですが、講師業というのは、実際に登壇している時間より、登壇するための準備の時間(業界用語でプレパと言います)がものすごく多いということに後から気付きました🤣。

 

駆け出しの頃はまじで時給換算数百円だったと思います。

 

それはさておき。

 

稼いだお金の一部は税金として納められ、社会のために使われているわけです。

 

わたしなんて、都庁を見る度に「あぁ、この都庁のネジの一本分位は、わたしの労働によって賄われているんだわ」と思います。

 

知らんけど🤣。

 

道路や学校、病院の整備、災害時の支援や、社会保障制度の維持。

 

これらもすべて、わたしたちが納めた税金によって支えられているんですよね?

 

つまり、わたしにお金が入るということは、間接的に社会に還元していることになるわけで。

 

それに気づいたときに、「じゃんじゃん稼ごう」と思いました。

 

 

 

 

 

 

年齢と共に変わり始めたお金に対する意識

 

ここで、ちょっと視点を変えてみます。

 

「愛があってもお金がないと食べていけない」って、確かにその通りですよね。

 

じゃあ、「お金があれば愛はいらない」と断言できる人は..いますね。

 

いますけど、「ほんとにぃ~?」って意地悪いいたくなります😁。

 

だってだって、スーパースターってけっこうな確率で不幸になってません?

 

ボヘミアンラプソディーとか2回見ちゃいましたけど、上り詰めた先にあったのは孤独っていうね😭。

 

ああいう感じの末路、避けたい。

 

 

アメリカの心理学者ダニエル・カーネマンとアンガス・ディートンの研究によると、年収が約75,000ドル(約800万円)までは収入の増加に伴って幸福度も上昇するけど、それ以上になるとほとんど変化しないそう。

 

これはねー、わたし大いに心当たりがありますよ。

 

20代の頃から年商8桁のわたし、ぜっんぜん幸せじゃなかったですから。

 

「幸せ風」を装っていましたが、「心の底から幸せ!」って言えた試しがありません。

 

そして、ほんとについ最近です。

 

40代ももう終わりかけている頃(最近でもないか😅)。

 

「稼いだお金を自分のために使う」が、「いただいたお金を次のビジネスに使う」に変わったんです。

 

これは自分でも驚きでした。

 

「俺のものは俺のもの!」と思っていたお金。

 

これを、自分でもなく、家族でもなく、ビジネスに使うという意識に変わったんです。

 

なぜ、そう思うようになったか?は、また別の記事でお話ししたいと思います。

 

とにもかくにも、そう思った瞬間から「卑しい」という言葉は消えてなくなりました。

 

 

 

お金との向き合い方次第

 

家事代行サービスとウーバー的なデリバリーサービスとか、「時間を買っている」人は、物質的な贅沢品にお金を使う人よりも幸福度が高い傾向にあるそうです。

 

ふーん。

 

自分のためだけでなく、他人のためにお金を使うことも、幸福度を高める効果があるそうです。

 

これは確かに。

 

寄付とかプレゼントとか、「なんかいいことした自分」って感覚を味わうとき、ちょっと幸せです😊。

 

 

なんとなく見えてきましたね🤔。

 

 

欲を満たすためのお金ではなく、お金を通じて何を実現したいのか、ここが大事なんじゃないかなーと。

 

最初は「欲を満たす」でいいと思うんです。

 

でも、卑しいと思っているなら、そこに苦しさを感じたのなら、ちょっと立ち止まって考えてみる時期なのかもしれませんね。

 

それには、自分にとって何がどうあれば幸せなのか?を明確にしておく必要があります。

 

わたしはここがわからなかったので、長いこと「洋服ほしー、素敵なレストランで食事したい―、タワマン住みたいー」なんて思っておりました。

 

全部実現しましたけど、現実は、幸せとは言えなかったんだよなぁ🥲。

 

ちょいちょい自慢入ってるように思われるかもですが、そんなつもりはございません。

 

現実を知ってほしいだけです。

 

 

 

 

最後に

 

お金を欲しいと思うことは決して卑しくない!

 

いつかきっと気付くときがくるはずです。

 

それまで大いに悩んでよし。

 

でも、早く抜け出せるように願わずにはいられません🙂。

 

わたしも通った道なので、わたしのような人間でも乗り越えられたので、大丈夫です。