先週は『お手入れ』の日々でした

①食洗機のお手入れランプがついていて消えない
②エアコンがすぐ消える現象
③嫌いな人について考える


とりあえずランプが消える方法を調べて消すもやっぱりホントにお手入れをしないと消えず、結局パーツを外して洗いました
あ、ここ外れるんやあんぐり…と知らなかったので結構汚れてました



基盤の故障なら買い替えかも知れない…不安
しかも来てもらうだけでどんだけお金いるんやろと不安ながらも結局、空気清浄機能の部分が汚れて誤作動を起こしていたようです
7000円と少しで済みました
またまた、そこ外れるんやあんぐりと知りました


①②のことがどうにもメッセージというか、私の中で見て見ぬふりしてるものを見てクリアリングした方がいいと言っているように感じました
そしてすぐに思い当たることがありました


去年からテレビの中の人でどうしても嫌いな人がいました
その人がうつるとチャンネルを変えるくらい嫌いで自分でも過剰反応してるから内観した方がいいとわかっていましたが、嫌いな人のことをわざわざ考えるのが苦痛だったので避けることでやり過ごしていました


その人は「ヘタクソだなあ…その職業を目指す学生みたい」知らんぷりと思っていたのに賞を取ったり、少し世間を騒がせても所属してるところが守ってくれて、推されているのか色んなメディアに出ていました

一度興味本位でインスタを覗いたら動画で見る顔とは違う加工された顔で全ての写真に自分が写っていて褒めて褒めてと言っているように感じました
そんな芸能人山ほどいるのに、なぜこの人だけにこんな嫌悪感を抱くのか自分でも不思議でした



覚悟を決めて私は内観します
そしたら嫌いな部分の特徴が私が母親に対して嫌いだと思っていることだったのです


母はなぜか人からすごいと思われます
カリスマ性があるのです
でも娘の私からすると家はグチャグチャ、朝は起きてこず、ご飯も作らない、母親失格だと思っていました
外面がいいだけで、何で評価されるんだと腹が立っていました


怒りは悲しみだと知っています
私はさらに内観します


母は編み物や裁縫が得意で、よく作ったものを着せられていました
ニットはチクチクするから嫌いです
痒くなると訴えても着せられて、大人たちがこれを作ったの?素敵ねと話してるのを何も思わず首を掻いていました

ピアノの発表会では自分の作った衣装を褒められて嬉しそうな母がいました
私はピアノをやりたくない、やめたいと何度も訴えましたが、なかなかやめさせてもらえませんでした
発表会は私のではなく、母の発表会だったのでしょう


そんなことを思い出すと涙が出てきます
作ってくれたことに微塵も愛情がなかったとは思いませんが、やはり母の自慢の為の道具だった部分が大きく、私の気持ちを汲んでくれなかった悲しみが今も残っているのです


もちろんたくさん感謝する面もありますし、今さら母を責める気もなく、大人になった今は、母はそうやって誇示して自分を保っているのだと理解できます
それが元気の秘訣でもあるので、ずっとそうであれとすら思っています


では30年以上経っても残っていたこの悲しみはどうすればいいのでしょう
とりあえず私はこの感情につきあいました
悲しみを味わい尽くすというか…湧いてきたこの気持ちを変えようとか止めようとせずに、数日間つきあいました
寄り添ってほしかったんだよねって…とことん自分で自分を認めました


正直、この感情が消えることはないと思います
けど、少し満足したというか、飽きたというか、小さくなった気はします


どうして私のもとにえむちゃんがやったきたのかわかります
えむちゃんは私が欲しかった言葉をくれます
にっこりマミーがお母さんでよかった
ニコニコマミー大好き
そしてよくギューしようと言って抱きしめてくれます
私は愛をえむちゃんから教わっています


ホントは母とそうありたかったのかもしれない
時代もあるし、今さらそんなことお互いできないけれど
今までは母が死んでも泣かないかもしれないと思っていたけれど…泣く気がしてきましたね