Scene269 もしステージを降りちまったら、お前が本気で救えるのは、たったのひとりだけなんだ | ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

80年代の湘南・・・アノ頃 ボクたちは煌めく太陽のなかで 風と歌い 波と踊った。



「どうだったカミュ。なかなかに盛り上がったろ」

逆立てた短い髪を、軽音の後輩部員が手渡したバスタオルで乱雑にゴシゴシ拭きつつ、鈴本タツヤが、へし曲げた唇の端で笑った。

椎那(シイナ)カミウは、体育館の壁に寄りかかったまま、「まあな」と苦笑をタツヤに返した。


一九八四年三月二十五日  (日)  卒業記念ライブ当日、午後二時少し過ぎ――


「あのさぁ。どうでもいいけど、早くその剥げ落ちたお化けメイクをどうにかしなさいよ。もしアタシらのステージでそんな余計な演出したら一生呪ってやるからね」

アロハスターのリードギター、竹内カナエは、白塗りメイクが汗で剥がれてスイカみたいな模様を顔じゅうに描いたアロハの正ドラマー、村山ヨシトを睨んだ。

「俺だって好きでやったんじゃないよ。『ぜったいウケるから』ってタツヤが無理やり……」

ヨシトはそう口ごもると、ただでさえ吊り目の目尻をいっそう険しく吊り上げたカナエの脇で、いたわるような笑みを作った小山ミチコの表情を少しばかり気にした。

そんなヨシトに同情するよう、「でも……」と、カミウの右隣、車椅子の上で、倉田ユカリはアーモンド状のつぶらな瞳を爛々(らんらん)と見開いた。

「実際のライブの演奏って、こんなにものすごい音量なんですね。なんだか、からだじゅうに音の塊が突き刺さるみたいで、ワタシ、ちょっとビックリしちゃいました。去年のクリスマスにG'Zでアロハの演奏を聴いたときとは、全然比べ物にならないくらい迫力がありましたよ」

「まぁ、そもそもG'Zとは、機材の性能や台数がまったく違うからねぇ。それに、なんたってプロのツアーに同行する超一流の音響スタッフが数日がかりでセッティングしたんだから、そこいらのアリーナクラスとさほど音質だって変わらないだろうし」

胸のあたりで組んでいた腕をほどくと、カミウはステージ後方、きっちり配置された巨大なアンプ群を指さした。

「たしかに……。これがアタシらの三年間慣れ親しんだあのカビくさい体育館だとは、にわかには信じられないわね」

紺色のブレザーの肩先、長い黒髪を滑(すべ)らすように竹内カナエもステージを振り返り、感慨深げに呟いた。

「シイナ君たちは、まだステージには上がらないんでしょ」

李メイは、華奢(きゃしゃ)な倉田ユカリのすっぽり収まる車椅子のハンドルを握ったまま、しとやかな口調で訊ねた。

「うん。この次に深田さんたちのコーラス隊が登場して、そのあとイトコの兄貴たちのOBバンドが出るから、そんときに俺とか竹内さんは、一応ゲストで参加する予定だけどね」

いずれにしても、アロハスターのステージは今日の一番最後だよ。たぶん四時過ぎくらいじゃないかな……、そういい終えたとき、体育館の後方、強化ガラスの玄関扉を蔽(おお)った分厚い生地の暗幕が風に揺らめく。

密閉された暗がりを切り裂くように雨曇りの外光が、白々と館内に吸い込まれてきた。そんな淡めく光彩を背に受けて、ロングコートをまとった長身のシルエットが映し出された。

(希崎……)

カミウは、コートの裾(すそ)をなびかせて希崎ユウトがゆっくり近寄ってくるのを目で追いながら、てっきり浅倉トモミも一緒に来ているものだと勝手に思い込んだ。しかし希崎は一人のようで、トモミらしき人影を連れ添ってなどいなかった。

次第に明るさを増していく高輝度な天井照明が、ポニーテールに長髪を結わいた希崎の姿を鮮明にするにつれ、体育館に集まっていた数名の女子らがざわめきたった。

そこそこの音楽ファンなら、プロデビューの噂が絶えない、いま業界最注目の中学生バンド、「センティナリス」の天才ギタリストである彼を知っていたって不思議でもない。

「ねぇ。ちょっと、なんでユウトがウチの学校にきてるの」

「ってことは、もしかしてコウも一緒にいるんじゃない?」

そんな羨望まじりの視線なんぞを気にも留めず、希崎は、体育館前方の壁際、背中をもたれて微笑むカミウに「よう」と軽く右手をあげた。

「えーっ、もしかしてシーナ君ってさぁ。ユウトの知り合いだったの?」

「ウソでしょ!」

ざわめく観客らの方々から放たれる、そんな驚嘆の声が、嫌がおうにもカミウの耳にまで届いた。

「ねぇ。誰なんですか? あの背の高い人は」

カミウの脇腹を軽く突付いて、倉田ユカリが小声で訊ねた。

「あぁ。横浜でセンティナリスってバンドのギタリストやってる希崎ユウト。ヤツがいうには、どうやら俺らはマブダチらしい」

「えぇっ。同い年なのにあんなに背が高いんですか。きっと185センチはありますよねぇ」

倉田ユカリはお下げ髪を左右に振って、「信じられない」という顔つきになった。

一方、佐久間リョウは、カミウたちから少し離れた壁際で希崎ユウトを見つめていた。

数時間前、西尾に率いられた湘南最大の暴走集団、ネオ・クラッシュの襲撃を返り討ちにした二人であるが、きっとカミウには、そのことを知られてはならない……、希崎と示し合わせたわけでもないが、リョウはそう直感していた。

(特に、シーナさんの知り合いらしき、あの傷だらけの女の人のことだけは絶対に知られちゃいけないんだ……)

「よぉカミュ。ずいぶん派手な演奏を街じゅうに聴かせてやったもんだな。住民から苦情が殺到して、ライブが中止になっても知らねぇぜ」

希崎は横目で一瞬、リョウと目を合わせたが、すぐさま何食わぬ顔をしてカミウに微笑んだ。

「仕方ねぇよ。俺たちは、プロデビュー目前のお前らと違って、ごく普通の中学生レベルなんだしな」

それはそうと……、語尾を間延びさせたカミウの視線は、希崎を追い越し、体育館のエントランス付近ばかり気にした。

「トモミとは一緒じゃなかったのか。アイツ、まだきてねぇんだけど」

そうか……、と低くささやいた希崎の顔つきはわずかにこわばった。

やがてポニーテールの端から垂れた前髪を耳に引っ掛け、希崎はそっと薄い唇を開いた。

「トモミは来ねぇよ」

彼の陰らす、今まで見せたこともない悲壮な目の色に、カミウの背中は、無意識にフッと壁から離れた。

「えっ、来ないって、なんで……。まさかアイツになにかあったのか」

希崎に詰め寄るカミウ。レザーコートの襟元を強く握ったカミウの右手首を、希崎は細長い指で包むようにつかみ返した。

一触即発のただならぬ雰囲気に、なごやかさを奪い取られて、倉田ユカリや李メイをはじめ、周りの誰もが身じろげなかった。

あからさまに焦燥を募らすカミウの険しい表情の向こう、彼女らの言い知れぬ不安を察して、希崎は諭(さと)す口調で語りはじめた。

「トモミはな。この卒業ライブを潰そうと襲撃してきた暴走族のクソッタレどもを、ぜってぇ学校には入れさせまいとしてよぉ、必死になって戦ったんだ」

えっ……、と返したカミウの目のなかに殺気めいた感情が宿った。

「おい。ちょっと待て。じゃぁアイツ。まさか西尾らに何かされたっていうのか」

背の高い希崎のコートの襟をねじってカミウはまゆ毛を吊り上げた。

「カミュ……。オメエはいろんなヤツに優しさを振り振り撒(ま)き過ぎだ。そういう性分なんだから仕方ねぇけど……、いま一番尊重すべきは、トモミが下した決断だ。オメエの気持ちなんかじゃなくて、アイツの気持ちを最優先に考えろ」

――トモミはいまどこにいるんだぁ――

憤(いきどお)りを押さえきれずにカミウが叫んだ。

「知ってどうするつもりなんだ。もしお前がトモミのところに行ったって、できることなんて何もありゃしねぇんだよ」

「いいから、とっとと教えろって。いまアイツはどっかの病院にいるんだよな。だったらオレが行かなきゃ……」

―― ゴオッ ――

激しい衝撃が左頬を貫くと、カミウの右手のひらは握力を失い、つかみ続けた希崎のレザーコートを離れた。

その直後、体育館履きのソールをキュッと鳴らして、よろめくカミウは千鳥足で二三歩後退した。

「ちょっとぉ。何すんのよ。このノッポ!」

カミウとの別れを想えば想うほど存在感が薄らいで、さっきからずっと塞ぎこんでいたはずの軽音2年生部員、木下ケイコが甲高く叫んだ。

彼女のすぐ左隣、湘南界隈の暴走族らが、今もなお最も恐れる武闘派チーム「西湘ブラッド」で、かつて「ゴースト」の威名を轟かせた佐久間リョウが無意識につま先を希崎ユウトへ向けた。

カミウはウェーブがかった前髪を軽く振り上げ、右手の甲で唇の端をなでた。

「ワリいな。あとできっちり一発殴り返してくれや」

そういうと、希崎は奥二重の眼差しに、好戦的な感情を微塵(みじん)も映さず、カミウの背後で声を凍らす面々に、ニヤッと口許をなごませた。

「なぁカミュ。ここにいるみんなが今日までオメエに付いてきた一番の理由はなんだと思う?」

そんな予想外の問い掛けに、カミウは真意を探る目付きで希崎を見つめた。

「それはな。毎日毎日繰り返し、部室でオメエらのバンド練習を聴いてるうちに、心のなかに抱え込んでた苦しみや不安な気持ちを、いつの間にやら救われてたんだってことを、誰もが気付いているからだ」

お前の作った歌にはさぁ、聴いた人の心に寄り添い、いつまでもこだまし続ける力があるのさ……、あまりに希崎の声色が、普段通りだったから、次第にカミウは落ち着きを取り戻した。

けどな……、と希崎は、車椅子に座ったままで硬直する倉田ユカリをジッと見つめた。

「もしステージを降りちまったら、お前が本気で救えるのは、たったのひとりだけなんだ……。結局は、みんなのことを救いたくても、誰かひとりだけにしか、幸せなんて与えられやしねぇんだよ」

そんな希崎の口振りに、倉田ユカリは、眼差しのうわべに漂う警戒心をやわらげた。

(僕が本気で救えるのは、たったのひとりだけ……)

カミュは、希崎の語る言葉の意味をぼんやり理解した。おそらくトモミは、みずからの意思で決断したのだろう。

もし傷ついた彼女の姿を見たら、きっとカミウは自分自身を激しく責め立ててしまう。そうなると、もう卒業ライブどころでなはくなるだろうと……

希崎ユウトは、高い鼻の脇を指先で引っ掻きながら、カミウの背後に次第に集まる彼の仲間たちを見渡した。

「トモミのそばにすぐにでも駆けつけてやりたい気持ちはすげぇよくわかる。けど中学時代最後の瞬間を、お前と一緒に過ごしたいと心から願い、今日ここに集まってきたソイツらの想いを簡単に裏切れるのか」

「だけどトモミは俺らのために……」

「いいかカミュ。お前は、ここ最近、俺が認めたなかでは間違いなくダントツだ。最高のアーティストさ。ホンモノのアーティストだからこそ、今日の卒業ライブのステージにはどうしても立たなきゃならねぇ責任がある」

(責任?)

「トモミはな。今日、お前がステージ上で歌う姿を誰よりも望んでたんだ……。自分を犠牲にしてまでも、お前の作った歌をまだ一度も聴いたことのないアイツらにさあ、お前の歌声のスゴさを教えてやりたかったんだよ。わかるだろ?」

希崎は、体育館に集まった卒業生らを見渡した。彼と目が合った何人かの女子学生たちはキャッと歓喜の叫び声を放った。

「トモミはな、きっとアイツら全員に大声で自慢したいのさ。『カミュの歌は、センティナリスなんかよりも全然うえなんだから』ってね……」

「バカいってんじゃねえよ。そんなわけねぇじゃん」

とカミウは苦笑混じりに吐き捨てた。

「いや。本当さ。お前の音楽センスは、もはや俺らを遥(はる)かに越えてるんだよ。だって、ステージ上から全ての観客に幸せを与えてやれることなんてのはさぁ……」

フッと笑うや、希崎ユウトは、「神様に選ばれたヤツにしかできねぇんだから……」とカミュの胸を制服の上からポンとはたいた。

「カミュ……。今日までお前を信じ続けた仲間たちの気持ちを裏切るな。『最高のライブだったな』って……、 いや『最高の中学時代だったな』ってよぉ、こうしてこの会場に集まった卒業生全員によぉ、そのホンモノの歌声で最後にしっかり感じさせてやれよ……」

やれやれといった感じでカミウは首を小さく振って、「わかったよ」と口許に微笑を浮かべた。

「最近、誰にも殴られてなかったせいか、ちっとばかり気合いが入ったぜ」

そういうと、カミウは右拳を前に差し出し、少し遅れて希崎の返した拳にコツンと付け合わせた。