先日、夏至があって、今月末にはみそぎの大祓があって、、、。

そういう区切りがあるというのは、生きていく上でとてもありがたいことだな、と思った。

実際に、太陽の位置だとか、星の位置とかいろんな要因が体や心やいろんなものに影響を与えるということはあるけれど。

それだけでなく、何かの区切りがあることで救われる。

新たにリセットしたり。

6月が終わって7月が始まるとか、新年を迎えるとか、そういうことも気持ちを入れ替えて新しく始める、ということでそれまでのいろんなことを清算するようで救われる。

そして、新月だったり、満月だったり、春分、夏至、秋分、冬至、、、いろんな節句など区切りがあるけれど、それはより説得力を感じて、だから、より一層やり直せる気がする。

こんなにも区切りというものがあって、新たにやり直すチャンスをいただいているようで。

新たな可能性をいただいているようで。

区切りというものは、とてもありがたい方便だな、と思う。

ただの方便ではなくて、実際に様々な影響があるのだと思うけれど、この方便というものは実はとても大きなことのように思う。

 

でも

毎日区切り、毎瞬区切り。

今ここに一瞬前はない。

いつもいつも。

毎瞬新たな始まり。

生まれ変わっているようなもの。

昨日と今日で何が違うのか?明確に感じられないかもしれないけれど、でも絶対に同じではない。

それは、ちゃんと確認すればわかること。

同じだと思い込んでいるだけ。

そして、同じだと思っていてもそれは制限ある五感や思考でそう思っているだけで。

私が思っている以上に、すごく違うのだろうな。

夏至、満月、そういう時と同じように特別なんだな。

毎瞬特別なんだな。

唯一無二。

一期一会。

それをいつも味わっている。

知らなくても感じていないようでも、いつもそこにいる。

そこにそれにさらされている。

 

できることなら思い切り感じてみたい。

味わってみたい。

そう思うと、胸が開いていってどんどん開いていってひっくり返って私がなくなって、、、。

私がなくなると、とても軽くて。

これは妄想かもしれないけれど、

でも、でも、今普通に考えられているこの世界はもっともっと測り知れない全く違う世界かもしれない。

違う面がたくさんある気がする。

お金がどうのとか、体が、とか、あの人が、、、あれができない、、、こんなことしてしまった、、、とか。

そういうことに囚われていたことが、とても小さな針の孔よりも小さなことにも思われてくる。

囚われていると、それが全てになってしまうのだけど。

囚われたくて囚われるわけでもないけれど。

でも、囚われるということを知っているからこそ、味わっているからこそ。この測り知れなさを感じることができる。

本当にありがたい。

神さま、ありがとうございます。