今、体はどうだろうか?

心地よいか?どう感じているのか?

そう観察するように意図してみて。

それまで、いつまにか心ばかりを見ていて、それでも観察しているつもりになっていたのだけど、本当に針の孔より小さい一点fだけを見つめるように結局心ばかりを見ていた。

特にネガティブといわれる心ばかりを。

気になってしまうから。

気を取られてしまう。

測り知れないほどに広い世界の中の針の孔より小さい一点だけを見つめてしまう。

まるで目を塞いでいるかのよう。

けれど、それにも気づいていない。

 

心が出てきた時、体の感覚はどうだろう?と観てみる。

いつもそうはいかないけれど、少しずつそうしてみる。

そうすると、今まですぐに心に気を取られていたものが視点が変わって、心にくっつかなくなる。

とても新鮮に感じる。

こういう心が出ると体はこういう感じなんだな。

知っているようで、当たり前に知ったつもりになっていたけれど、つもりになっていただけだった。

起きてきた心で体が緊張していたら、別の心を選んでみる。

そうすると緊張が解けたり。

どうしたら、体はリラックスするのかな?

それをテーマにあれこれ、試してみる。

 

観察している、ということがはっきりしてきて。

くっついていた心が離れて、隙間ができる。

体も心も観察の対象であり、私ではないということがわかりやすくなる。

そして、あんなにくっついていた心は体にちょっかい出す脇役みたいにも見えてきて。

なんだか可笑しい。

 

今まで当たり前に見てきたこと、思ってきたことが全然違うようにも感じる。

今まで見てきたのは、本当に小さな小さな穴から覗くような小さな世界で。

測り知れないほどの見方があり、測り知れないほどの世界がある。

本当はどんな世界なのだろう?

今までかけていた眼鏡をはずしたら、そのまま観たら、本当はどんなだろう?

全くわからないし、とても不思議な気分だ。

 

たまにこんな妄想も、風g通しが良くなるようでいいな、と思う。

こんなこともいつも起きてくるわけではないから、今起きてきたことを味わってみよう。