[無知] 安倍の法概念と一般法概念との乖離 | Sin&Punishment

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ようやくインフルが落ち着きました。
リレンザを飲んだのですが、これを飲んだら背中の異常な痛みが発生し、逆に高熱より苦しい状況に陥り、医師に連絡。
リレンザを止めれば痛みは止まるはずと言われ、リレンザを2日で中止するも一向に痛みが取れず…。
昨日、日曜でも診察してくれる中規模の病院に行き、検査をしてもらい、炎症の傾向は出ていないが痛みがきついのならと痛み止めを処方され、ようやく改善。
熱も下がりました。まだ少しふらつきますが…。

ということで、懸案の逢坂議員とのやり取りを中心に。

平成27年3月6日衆院予算委員会(民主;逢坂議員)

冒頭部分(0:05~)
逢坂
まず最初にですね、総理にお伺いします。総理も私も権力者という風に位置づけられると思うんですけれども、総理は具体的にどう言うことをもってして権力者と位置付けられているのか、そのことについてお伺いしたいと思います。

安倍
これは、あの、何をもって権力者と言うかということかでございますが、え~、私は内閣総理大臣としてですね、え~、憲法第27じょ、え~、憲法72条に規定する職務に任じられております。
え~、憲法72条に規定する職務とは何かと言えばですね、え~、いわば、あ~、内閣を代表して議案を国家に提出をし、そして、一般国務・外交関係について国会に報告し、そして並びに、え~、行政各部を指揮・監督する立場であるということであります。
え~、いわば行政各部を指揮・監督する権利を持っている。
え、何をもって言わば、え~、権力者というのは、ま、ある種形容詞的な名詞でもございます、表現でもございますから、権力者であるかなないかということは申し上げませんが、私はそういう権能を有していると言うのではないかと思います。
また、(逢坂)議員はですね、立法府の一員として立法をする、立法をする権限を持っている、またそれは国民から負託されていることではないかと思います。

逢坂
総理、あの、ありがとうございます。
私たちは法律というものを通してですね、国民の自由を制限する力を与えられているんですね。
私どもは、私は立法府におりますから、法律を作るということにおいて、法律を作用させることによって国民の自由を制限するわけでございます。
総理の場合は立法府にもおりますし行政府にもおります。行政府において実際に法律をワークさせることによって国民の自由を制限させる。
そういう意味で我々は権力者というものに位置づけられるのだと思います。
これは憲法の教科書にもよく書いてあることであります。
そこで、この権力者たる我々がですね、自由に、気まま勝手に法律を制定して、国民の自由を制限することをやってしまったのでは、国民の皆様は不満で生活もできないわけですね。
勝手にいろんな法律を作られちゃ、勝手にいろんなことをされちゃうということであれば、夜も落ち着いて眠れないわけであります。
そこで、この権力者の、法律を作る行動を制限しているのが憲法という枠組みになっているわけです。
憲法で権力者の法律を作る範囲、あるいは国民の皆様に権利を与えなきゃいけないというものについて明確にしているわけであります。
だからこそ、私たちは国民ではなくて私たち自身が憲法を擁護したり尊重したりする義務が課せられているわけであります。
フリップをお願いします。
そこでですね、お手元に資料を用意させていただきましたけれども、憲法99条抜粋を書かせていただきました。
「国務大臣、国会議員、裁判官、その他公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」ということであります。
これは我々が権力者であって、この憲法を超える以上の法律なんか作っちゃいけませんよ。
ちゃんと憲法の範囲を守ってくださいよということなわけであります。
私たちはこの憲法を尊重し擁護する義務を負っているわけですが、私、最近の総理の発言を聞いておりまして、本当に総理がこの憲法を擁護し、義務、その尊重する義務を果たしているのかと疑問に思えてならないんです。
たとえば、平成25年7月27日の産経新聞のインタビューですけれども、えー、総理はこう発言されております。
「昭和21年に連合国軍司令部の憲法も国際法も全く素人の人たちが、たった8日間で繰り上げた代物だ」
これは現在の日本国憲法について言及している総理の言葉であります。
それから、衆議院の予算委員会、平成19年2月14日にですね、
「私は憲法改正について、政治スケジュールに乗せていきたい。歴代総理の中でこれを申し上げているのは私が初めてであろうと思います。そうでなければこれは全く前、前進しないということになってしまいます」
こういう発言をされているわけですが、総理自身が憲法改正に前向きな発言をして、歴代の中で初めてこういうことを言っているんだと言っているんですが、これは現行憲法を尊重し擁護する姿勢なんでしょうか?
具体的に総理はどう言うことをもってして現行憲法を尊重し擁護するという、この義務を果たしているんでしょうか?
答弁をお願いします。

安倍
え~、そもそも、え~、行政府の長としてですね、え~、憲法を擁護し尊重するというのは当然なことであります。
我々は憲法に反しているか反していないかの中において立法をするわけであります。
そもそも、そもそもですね、我々が勝手気ままに法律を作るということはあり得ないわけでありまして、我々は選挙を通じて公約をしており、そしてこの公約を掲げて国民の皆さまから負託をしている、同時に選挙でお約束したことを実行していくという責任も持っているわけであります。
その中において我々は必要な立法活動を、又は、え~、お約束した立法活動を行うということは申し上げておきたいとこのように思います。
そして、憲法ができたいきさつにつきましては、げんこ、現行憲法はまさに、帝国議会において実施されてものでありまして、安倍内閣においてはですね、え~、憲法を厳に遵守しているということは言うまでもないということでありまして、当たり前のことであります。
ご指摘の私の発言につきましては、げん、現行憲法につきましては、戦後の占領下において、その原案が連合国軍総司令部によって短期間に作成されたものであるとの事実を述べたものに過ぎないわけでありまして、総理大臣として事実を述べてはならないということはないだろうと、そういう風に思います。
当然、繰り返しになりますが、え~、私は、え~、現行憲法下においてしっかりと憲法を遵守し、その職務を遂行している所でございます。

逢坂
あの、総理、そうおっしゃいますけれども、この言葉の中にですね「代物だ」という言葉が使われているんですね。
「代物だ」って、これどう言う意味の言葉でしょうかね?
言葉尻の問題ではなくてですね、これは基本姿勢の問題なんですね。
「物、または人を低く評価したり、え~、引きこごめて言うことが多い。『とんでもない代物をつかまされた』『えらい代物が舞い込んだ』」
これ、大辞林に書いてある言葉なんですけれども、私はこういう発言をする総理がですね、憲法をですね、擁護する、尊重する姿勢を持っているとは思われない。
総理、一般法と憲法の違いはどこにあるとお考えですか?
一般法と憲法の違いはどこにあるとお考えですか?

安倍
あの~、まずですね、自民党はそもそもですね、自民党はそもそも結党以来、憲法改正を党是として綱領に掲げているわけでございます。
私は自由民主党の総裁として、なぜでは憲法を改正するか?ということを述べているわけであります。
同時に、今の憲法は今の憲法として、まさに基本法として言われるのを当然厳しく律している訳でありますから、その中で行政を行っている、尊重しているのは当然であると、こう思うわけであります。
まさに、一般法と、え~、憲法との違い、これはまさに憲法というのはいわば、一般法というのは憲法に反しているか反していないかという中において作られるものでありまして、その意味においていわば基本的な原則であり、基本法と言ってもいいだろうとこのように思います。

逢坂
あの、憲法と一般法の違いにおいて、ここに易しく書いてある池上彰さんの「憲法は難しくない」という本があるんですが、ここにこう書いてあるんですね。
「憲法は国民が権力者に勝手なことをさせないよう力を縛るもの」
「法律は世の中の秩序を意地するために国民が守らなければならないもの」
と、こういうふうに書いてある。
たぶんこの定義で、この書き方でいいんだろうと思います。
もう一冊、有名な憲法の教科書「芦部憲法」でありますけれども、この中にも似たようなことが書いてありまして、
「近代立憲主義的憲法は、個人の自由・権利を確保するために国家権力を制限することを目的とする」
これが憲法の役割なんですね。
そう意味で言いますと、総理、我々が憲法をしっかり守るという基本姿勢を貫くことが大事なんだと思うんです。
総理自らがですね、憲法をおとし、貶めかねないような発言をするというのは厳に慎むべきだと思うんですが、先ほど私が紹介した「憲法はなになにの代物だー!」のような発言とかですね、これ、少し修正するとかお取消しになるとか言う気持ちはありませんか?

安倍
ま、一般に憲法とはですね、え~、主権者たる国民の意思に基づいて国家権力のあり方について定め、これにより国民の基本的人権を保障す、することに基本的な、あ~、役割がある根本規範であります。
一方、先ほど申し上げましたように、え~、ま、あ~、従来から私が申し上げましているように、一方で憲法は国の形や未来を語るものでもある
これに対して法律とは、憲法の下で、憲法の定める立法機関が定める法規であると先ほど申し上げたことでございますが、え~、ま~、繰り返しになりますがですね、え~、当然のこととして、え~、我々は、我々はですね、え~、え、いわば行政府はですね、え~、また私は総理大臣として、憲法を遵守する、擁護する義務があるのは当然のことでありまして、それがなければそもそも行政府として成り立たないわけでございます。
そこで他方、自由民主党としてですね、憲法を変えていく、これは、今年自由民主党は結党60年を迎えるわけでありますが、その中において、ではなぜ憲法を変えるかという議論を行ってきているわけでございます。
そこで、やはりいくつかあると。
理由がなければ憲法を変える必要はないわけでございまして、ま、そこで我々は、もう、こ、そもそも、占領下において短い期間においてですね、占領軍の司令部において、え~、25名の方々によって作られたのは間違いのない事実でございます。
え~、更に言えばですね、え~、憲法ができて長い年月が経って、時代に合わなくなった条文もあるだろうと言う中においてですね、憲法を変えていくべきだということであります。
つまり、その中で、この条文は変えていく必要がある、こういう、え~、過程でできたから変えていくという議論をするのは、これは当然のことではないかと私は思う訳でありまして、そうでなければそもそも変える必要はないのではないかと、こう思います。
一方、それと憲法に従わないというのとはですね、全く別の話であって、せんぽう、憲法を遵守するというのは、これは当然のことではないかと、このように思います。

逢坂
あの~、総理ですね、ま、総理がそうおっしゃりたいという総理のお気持ちは、総理のこれまでの発言を見てるとそうは思うんですけどね、ぜひ冷静に考えていただきたいんです。
一般の法律はですね、これ多少手荒に扱ってでもですね、一般の法律って言うのは、これ結構強いんです。
その理由は何か?
憲法という後ろ盾、バックボーンがあるからですね、一般の法律って言うのは多少手荒なことをしてもですね、必ず憲法の枠内に収まるという安心感を持っているのが、これ一般の法律なんです。
ところが憲法の場合は、これは最高規範であって、これは一般法律のように後ろ盾がないんです。
だからですね、憲法というのはおかしなやり始めると壊れるのも早いんですよ。
これはですね、これはですね、非常に大事なポイントでありまして、この、だからこそ、憲法を擁護し足り尊重したりする義務を持っている我々自身がですね、常にこの憲法をしっかり守るんだというそういう思いを持って守らないとですね、これ大変なことになるんですよ。
それで、もしですね、もしですね、これはですね、もしですね、この憲法の扱いがおかしいということになれば、最後の審判を下すのは国民の一票で、これの審判を下すというのは国民の一票です。
ただし、この際に危惧しなければならないことがある。
巨大与党が存在しているときに、この国民の一票が機能しないという場面が時々ありまして、巨大与党であればあるほど憲法を擁護し、遵守するということについて神経を研ぎ澄ましておかないと、これは憲法の動きが少し変わっていく可能性がある。
午前の質疑の中でも、私どもの同僚の小川議員から憲法9条に対する、本当にこの存在が大丈夫なのか?って言うような趣旨の質問がございましたけれども、そのことを総理にはぜひ分かっていただきたい。
一般の法律と憲法は、その強さにおいて違うんだ。
それを守るのは我々がまず守る。
それがダメなときは国民の一票だ。
だがしかし国民の一票が機能しないというようなことも場合によってはある。
だからこそ、権力者である我々が憲法をしっかり守る。
憲法を改正する議論とは、これはまた違います。
まず現行憲法をしっかり守る。
その義務・擁護する。
それがあるんだということを、総理にしっかり認識をしていただきたいんです。
他の議論に話を行く前に、そこをまずしっかり認識していただきたいと思います。

安倍
私は逢坂さんとは意見が違います。
私は一般法であったとしても手荒に扱っていいとは思いません。
しっかりと、しっかりと遵守していくの当たり前のことではありませんか。
一般法であったとしても、憲法であったとしても、行政府の一員としてしっかりと厳密に守っていく。
これは当然のことであります。
当然のことなんですよ。
そして、どちらが弱いということではない
憲法においては、まさに、いわば根本的な規範であります。
基本法であります。
だからこそ国会においてはいわば2/3の発議で、更に国民投票。
まさに最後は国民が決める。
憲法を変えるか変えないか。
これがまさに憲法であろうと思います。
法律については、これはまさに我々が国会に選ばれてきて、そしてそこで、え~、過半数を得ればですね、法律となっていくということであります。
ですから、どちらが強くてどちらが弱いという議論には与するつもりはありませんし、どちらか一方を手荒に扱ってもいいなどという子は全くこれっぽちも考えていないということは申し上げておきたいと思います。

逢坂
あの~、私は何も法律を手荒に扱うということを認めるとか認めないという話をしているわけではなくてですね、ま、あとで、ま、いいでしょう。
次の問題に行きましょう。
ただ残念なのはですね、総理に対して、総理の認識というのは非常に危ういということが良く分かりました。

このやり取りでわかるのは、安倍は立憲主義の根本を全く認めていないということが第一に挙げられます。
口では憲法を順守するのは当然と言いつつ、憲法は権力を縛るということには全く触れません。
第二に、法治主義における憲法の法律の関係を表面上でしか理解していないということです。
法律は憲法の範囲内で制定されるものであって、憲法は基本法という言葉にのみ終始しているのです。

ホントに法学部を出たんでしょうか?…。
私は文学部史学科卒ですが、逢坂議員の言っていることくらいは一般教養で学ぶ法学の範疇ですから当然知っています。
「憲法は国の形や未来を語るものでもある」というのは聞いたことがありません。
概念としてはあるのかもしれませんが、憲法の意義としては間違った解答です。
こんな人間が憲法改正を騙るんだから恐ろしいことこの上ありません。
彼は立憲主義そのものを否定し、彼の目指す国家とは国家社会主義的国家であって、理想国家は北朝鮮ではないかと思わせます。

逢坂議員は、「憲法を遵守する」というのはいわゆる「護憲」という憲法を改正しないという意味ではなく、現行憲法の条文に国会議員・国務大臣は従わなきゃいけないということを伝えたいがために、わざわざ「憲法を改正する議論とは、これはまた違います」と強調しているのですが、伝わっていません。

挙げ句に法律を手荒に扱うなど言語道断と意味不明な糾弾まで始める始末。
典型的な脊髄反射による答弁だということが分かります。
ホントにネトウヨまんまです。

逢坂議員が質問をぶった切ったのは、「議論にならない」と思ったからでしょう。
確かに議論になりません。
相手の知能が低すぎます。
大変厄介な奴に権力を与えてしまったものです。

そして、この安倍の答弁を擁護するような記事が、またしても産経に掲載されました。

18歳選挙権 教室を政治の場にするな

この中で産経は
今年の日教組教研集会でも、中学の授業で「立憲主義」について「権力を持つ者をしばる」といった説明を強調し、憲法改正を目指す安倍晋三首相を批判するような授業が報告された。教員の一方的な考えを押しつけたり、生徒を誘導したりする授業が相変わらず行われているのが実態だ。
と述べています。
なぜ「立憲主義について権力をもつものを縛る」という説明が安倍を批判することになるのでしょう?w
産経もまた立憲主義を否定しているようです。
この授業内容が一方的な考えに該当するなら、立憲主義の定義を教えるなと言っているに等しくなります。

こういう危険な人物がこの国の首相であり、メディアを通して思想統制しようとしているということは国民がしっかりと見つめ、審判を下していかなければいけないと痛切に感じます。

以下、上記産経記事へのツイッターの反応の一部です。