消えてほしくない足の傷 | Double Peace:)

Double Peace:)

DV家庭育ち/見た目はすごく元気(実は心の病気持ち)/スポーツ大好き/実生活では言えない本音/親の退院後の手助け/大好きな人と心から健康に笑顔で生きていくのが夢/初めての方はプロフィールとメッセージボードを読んでいただけたら嬉しいです:)/2023.10.22 blog start

非DV親が入院してた時の話。



大きな手術の後、長期入院してて

もちろんその時はとにかく


DV親が癇癪を起こして

暴れたりしないように細心の

注意を払いながらかなり気を遣って

過ごしてたんやけど、


いよいよ明日非DV親が退院する!!

という前日に、ほんの少しだけ

ニコと話せるかも!

というチャンスがあった。



このブログを読んでくれてる人には

ある程度伝わると思うけど、


DV親は性格的にもとても凶暴やし

感情を抑えられない特性もあって


何かが気に入らないとなると

それがすぐ暴力や暴言という

形で人を傷つけることになる。



だから、特に非DV親の入院中は

万が一何かが起きた場合に

証人もいないし大きな事件にも

なりうるからただひたすら


自分がするべきことだけは

完璧にこなしつつ

生活上報連相が必要なこと以外は

言わないように過ごしてたし、


去年はニコも病気で入院や

手術もあったから特にニコと

コミュニケーションを取れる

機会も本当に限られてた。



次の日には非DV親が帰ってくる

という安堵の気持ちと

これを逃したら今度いつニコと

やりとりできるか分からない

という不安と気持ちが両方ある中で


ニコと話せそうな時間が

晩ご飯後のほんの少しの時間帯に

限られてたから、まずはその時間の

家事をしっかりやってその後


また次の家事の合間に自室で

ほんの少しなら話せそう

という状況に何とか持ち込んだ。



結果的にその日、ちょっと話せて


僕はニコが病気のこともあって

元気ないんやないかな?

どんなふうに話しかけたらいいかな?

と何日も前から悩んでたんやけど


何回も心でシュミレーションした

言葉をやっとの思いで話したら


本当は不安も苦しみも沢山

あったやろうけどニコは

いつも通りの明るい声で

「元気になって元の生活に

仕事面も含めて戻れるように頑張る、

だから待ってて」

と言ってくれたんやった。



話せた時間は本当に短い時間。


それでもあれこれしてる間に

次の家事をする時間になって

(1分単位で決められてるから

遅れると注意されたり

そこから関係ないことにまで

言いがかりをつけられる可能性も)


急いでその家事をしようとした時に

急ぎすぎて思いきり物に足を

ぶつけてしまって傷ができた;



これはちょっと言い訳がましいけど

親の個性上、家にかなり物が多い方で

普段は何がどこにあるか意識して

家事してるから大丈夫でも


その日みたいに何かを考えてたり

バレないように何かをしてたり

(別に悪いことはしてないんやけど)


そういう時はつい注意力が

散漫になりがち( ;∀;)



非DV親が退院してからも

日常生活や非DV親のサポートに

追われながら毎日を過ごす中で


よっぽど強くぶつけたのか

その傷が消えることはなかった。


何かの合間に足のその部分を

「あの日ニコとやりとりできた

すぐ後についた傷」という

特別な想いを持ってそれを見てた。



もちろん、親はそんなことは

何も知らないけど、


退院してしばらくした非DV親と

会話の中でその傷の話になった時


「(非DV親の)退院の前の日に

ちょっとバタバタしてて

お風呂周りの家事が遅れかけて

やばいと思って急いでたら

思いっきりぶつけたんよね‥笑」

と僕が笑いながら言ったら


「いつもそんなに急いでるん?」

って非DV親は心配そうにしてた。



でも、それ以降その傷が

話題になることはない。


僕にとっては、ニコに関する

想い出がある傷でも

それ以外の人には何てことない

話なんやと思う。




今でも僕の足にはその傷がある。


あれから数ヶ月、

当時よりは薄くはなったけど

今も見れば分かる。


ロング丈のボトムなら見えなくても

丈が短めのボトムやと

まあ分かるには分かる傷。



普通ならやっぱり気になるし

早く消えてほしいと

思うもんなんやろう。



僕はかつて運動部にいて

身体に傷があるという状況に

慣れてるのもあるかもしれないけど、


そのくせ顔のほくろは

絶対近い将来取りたいと

思ってるくらい嫌なんやから


あらゆることに無頓着で

気にしないというわけでもない。



でも、その足の傷は

ずっとこのままでもいいかな

と正直思ってる。笑



非DV親が退院してからも

それまでにはなかった介助を

しばらくすることになったり


DV親は相変わらず非協力的で

僕一人時間に追われて

余裕なく暮らしていく中で


ニコの写真や動画を見たり

もらったメッセージを見たりは

できないような忙しい時も

自分の足なら怪しまれないし、


「あの日、ニコがあんなふうに

言ってくれたなあ」


「ほんまは不安だらけのはずやのに

いつもと変わらない様子で

これまでの生活に必ず戻るって

強い意思がある言葉やったな」


とその日のことを思い返して

僕も何回も元気をもらってる。



足の傷の話はニコも知らない。


もし、この先話す機会があって

「あの日、ニコと絶対話したくて

親の退院前のバタバタした中で

気を取られながら家事してたら

足ぶつけたんやけどアホやろ?笑」

とは言えたとしても、


そこまで急いで家事を

しないといけない家の環境に

ついては話せないやろうし


その日のニコの言葉や

その日の色んなことが

今も支えになってるから

傷が消えなくてもいいと思ってる


とは、変人やと思われそうで

言うつもりはない(*゚x゚​*)苦笑



本当はこれを書きながらも

傷見て支えられて力もらってる。


自分のブログにこんなこと

書くのでさえためらいながらも


他に自分の気持ちの収め所が

なかなかないから書いてるけど。



気持ち悪いと思った方は

見なかったことにしてください(^_^;)


★★


具体的に書いてしまうと確実に

不快な気持ちになる方がいると

思うからそれは控えるけど、


昨日の夜DV親が人の不幸を

「うわぁー!思った通りやん!

めっちゃおもろい!」

という感じのノリで笑ってて


この人心底恐ろしいなと思った;



自分自身がその人に何か

すごく傷つけられたり

嫌なことをされた経験があって

その人が何か困ってる時に


「人にしたことは自分に

返ってくるんやな‥」とか

冷静に考えるというなら

まだ解るんやけど、


DV親の場合は自分以外の人なら

災難も苦痛も面白い、楽しい、

もっと他人が困ればいいのに!

というタイプで、


誰も何も困ってなければ自分が

何か人が苦痛に思うことを

わざわざ撒き散らしてまで

人を悲しませたりする。



僕もこれまでDV親には色々

そういうこともされてきたから

楽しいことや嬉しいことがあっても

DV親には知られないようにしてる。


DV親もいる目の前で誰かに

僕が特技を褒められたとかは

隠しようがないけど

DV親の知らない範囲であった

幸せなことは絶対に言わない。



そんなことを知られてしまうと

DV親は面白くなくて

その楽しいことや嬉しいことが

あった以上の苦痛を僕に与えて

ストレス解消、発散するから。



誰かに親切にしてもらったとか

前からずっと欲しかった物が

やっと手に入ったとか

嬉しい言葉をかけてもらったとか

そういうことも当然言わないし、


ニコと進展があったとか

将来にも関わる大切なことは

更に絶対に話さない。



人の不幸は蜜の味って言うけど

ここまで堂々とあからさまに

当たり前みたいな顔して

人の大きな災難を面白そうに

喜ばれると本気で怖くなってくる。



もうすごく前なんやけど

当時僕がすごく大事にしてた

人間関係を驚くような手段で

勝手に潰してきた苦い記憶が

あるから僕もそりゃ学ぶよね‥。



その時に僕が関わってた分野の

人たちとはもう今は繋がりないし

もしかしたらDV親がそういう

嫌がらせをしなかったとしても


今は疎遠になってたかも

しれないんやけど、


当時は僕はその知り合いのことを

信頼してたしもっと仲良く

なりたいとも思ってて


それをDV親の勝手な気まぐれで

卑劣な手段でその知り合いが僕に

嫌悪感を持つように仕向けられて


ドラマでもないくせにこんなこと

現実にほんまにあるんや‥って

どこか第三者みたいな気持ちで

恐ろしく振り返ったあの頃。



DV親は自分が気分良くなるためなら

人をどこまででも苦しめる人やと

分かってるから、大切なことは全て

口にはせずに心の中で考えて


大切であれば大切であるほど

そのことを水面下で進めるのが

もう癖になってるんよなあ。



その人に何かされたわけでも

ないのに誰かの不幸を願ったり、

大変な思いをしてるのを

面白がったりするのって


人の不幸は蜜の味とか

笑ってる場合やないよね‥( ̄△ ̄;)



僕はそういう人とは

関わりたくないと思ってしまう。


それに、昔から身近に

そういう人を見て育つと、


周りの人の中には同じように

そう考える人もいるのかもと

思ってしまって、知り合いとも

仮に向こうが大事そうな話を

してくれたとしても、僕の方は

無難な話しかできなくなる。


人の怖さをすごく

見せつけられて育ったというか。


周りに無難な話しかしない分

僕の個人的な話が

僕の知らない所で次々に

知り合いたちに出回る可能性は

ほとんどないという安全性は

もちろんあると思うんやけど、


たとえ仲良くなっても

人を信じられない、

不幸を面白がるということ

以外の面でも裏があるように

思えて寄り添えないというのは


この先僕が本当に幸せになりたいなら

本当に限られた人のことだけでも

信じられるようにしていかないと

いけない課題やなとよく考える。





毎日が余裕なくあっという間に過ぎる。

何かを始めて世界を広げようかなと
体調がいい時は思ったりするけど、

なかなかそこまでの余裕もなく
実際には今の生活で精一杯;


ずっと落ち着かずにいる問題が
一日も早く落ち着くのを願って

それがうまく解決したら
今よりは余裕を持って過ごせるかも。