まだつづくグアム観光6 | veeのブログ

まだつづくグアム観光6

今回は、タロフォフォ地区です。

こちらは、山側にあるタロフォフォの滝。


タロフォフォの滝(タロフォフォ・フォールズ・リゾートパーク)


入り口には、放し飼いの豚が…。

そのエサを求めてニワトリもやってくるんです。
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これがタロフォフォの滝。

グアム最大の滝です。

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滝の横から、ジャングルの中、徒歩で約15分の所に

あの、昭和の日本人ならば、誰もが知っている、立ち上がる時に言うセリフ

「よっこいしょーいち」で有名な

横井庄一さんが潜伏していた、横井ケーブがあります。

さすがに、行きませんでした。公開されているのは実物ではなく

レプリカなんだそうです。

でも、5分ほどこの中を歩いたんですけどね…。

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で、、ちょっと残念な看板が立ってるんです。

「愛の園」って…。右に何が有るかって?
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怪しい…。愛は感じられない…。ヽ(;´ω`)ノ
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因みに、このタロフォフォ・フォールズ・リゾートパークの外

(すぐ隣)では、アウトドアの実弾射撃が出来るんです。

でも、危なそうなので私は行かなかったんです。


アクシデント発生!

退場して車に戻ると…、

私じゃないんですけど、もう一台のレンタカーがパンク!

汗だくでスペアタイヤに交換。そう、南国は暑いんです!

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おまけ。

山側から再び海側へ。タロフォフォ湾です。

ここは、珊瑚が見えますねぇ。

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では、長い解説を。



タロフォフォ村  人口約3000

タロフォフォ村も自然が豊かなエリアで、タロフォフォ川の上流には景観の綺麗な滝を見ることができます。またローカルのサーフィンスポットとしても人気がある「タロフォフォ湾」は、1940年代の太平洋戦争での敗北後の横井庄一さんなど多くの日本兵が脱出を試みた湾でもあります。

このエリアの見所といえばやはり「タロフォフォ川」で、海沿いの4号線からは雄大なタロフォフォ湾が望め、山側ジャングルに入れば「タロフォフォの滝」、近くには元日本兵の横井さんが潜伏していたとされる横井ケーブなどもあります。

タロフォフォの滝について

タロフォフォの滝は、グアム南東部のタロフォフォ湾から数キロ山奥に入ったところにあるグアム最大の滝です。ここはタロフォフォ・フォールズ・リゾートパーク内にあり、入場料$20(大人)/7(子供)を支払い、200m程のロープウェイを下ってアクセスします。

タロフォフォ川の支流にあるこの滝は3段で形成されており、1番大きな滝は、幅約20m、高さ約9mほどあります。近くの吊り橋からも全貌を一望でき、滝つぼでは水遊びもすることができます(更衣室はないのでトイレでの着替えとなります。また滝からの飛び込みは禁止となっています)。

横井ケーブ(タロフォフォ滝の敷地内)

「タロフォフォの滝」をさらに300mほど奥へ進むと、「横井ケーブ」があります。このケーブは太平洋戦争時代から約28年もの間、元日本兵だった横井庄一さんが終戦を知らず潜伏生活を送っていた有名な洞穴です。現在、展示されているものはレプリカとなりますが、横井さんの当時の生活ぶりをうかがうことができます。

横井ケーブについて

横井ケーブは、太平洋戦争時代から約15年もの間、横井庄一さんが潜伏生活を送っていたとされる洞穴です。場所はグアム南部のタロフォフォ村の「タロフォフォの滝」から300mほど山道を約15分ほど歩くと「横井ケーブ」にたどり着きます。

横井ケーブに向かう山道の入り口には、小型のグアム歴史資料館がありグアム島でのチャモロ人が歩んできたジオラマが展示されています。ジオラマはスペイン統治時代や日本統治時代など、グアムがまだ植民地としてチャモロ人が鞭で叩かれ奴隷として虐げられる様子や、太平洋戦争時の横井庄一陸軍伍長の潜伏期間の様子なども再現されています。

横井ケーブを目指して密生した竹林の中を入っていくと、地面に穴があいたハシゴのようなものが見えてきます。この直径1mほどのハシゴは下っていけるようになっていて、中に入っていくと床に竹が敷かれた長さ3m、高さ1mほどの空間になっています。決して十分な広さとはいえない。高さ1mだと立ち上がるのも容易ではない。横井さんはこんな環境で15年も生活してきたのかと考えると驚かされる。

「横井ケーブ」はレプリカ ?!

本物の「横井ケーブ」はタロフォフォの滝から近い別の密林地帯にあるようですが、密林の奥深くにあり、とても観光ではたどり着ける場所ではないらしい。確かに15年も見つからないでいられたのだから簡単に行ける場所であるはずがない。

「タロフォフォの滝」の近くにあるこの「横井ケーブ」は、本物の「横井ケーブ」を再現したレプリカとして作られたものです。

本物の「横井ケーブ」の入り口は、レプリカよりさらに小さい直径50cm。密集した竹林の根元に竹で編んだ蓋で隠されていたという。中は2mほど掘り込んであり、竹で作った棚や物置、床は布団代わりに白く乾いた竹皮で敷き詰められていたという。

横井伍長の生命力は相当なものである。しかし横井さんは、なぜ28年もの間、グアムのジャングルで隠れ続けていたのだろうか?

横井庄一さんは、太平洋☆☆終結から28年間、グアム島のジャングルで自給自足の生活を送っていました。

横井庄一さん

1941年に太平洋☆☆が勃発し日本がグアムを一時☆☆したが、その期間は2年7ヶ月と短いものだった。1944年にはアメリカ軍の猛攻撃に敗れ奪還されてしまう。横井庄一さんは、この1944年からグアム島の歩兵第38連隊に伍長として配属していた。

同年721日にグアム南西のアサン、アガット海岸からアメリカ軍の上陸を許してしまう。その後811日まで日本軍の抵抗は続いたが、約18千人の日本兵が☆☆や自決で命を絶った。しかし米軍の制圧後も、日本兵の一部はジャングルへと逃げ込み翌年9月になってもゲリラ戦を続けるものもいた。  

圧倒的なアメリカ軍の火力前に日本軍に残された戦術は、潜伏することでありアメリカ軍の戦いは日本兵を探すことであったという。アサン地区には現在も洞窟が残っているものもあり、当時は数百もの穴を採掘したとされている。

その当時グアムに残っていた日本兵はポツダム宣言で日本軍の無条件降伏が発令されたことを知る余地がなかった。横井さんはジャングルや自ら作った洞穴などで生活、グアム派遣から約28年後の1972124日に現地の猟師に発見され、同年22日に日本に帰還することとなりました。

横井さんは帰国後、空港に出迎えに来た(旧)斉藤厚生大臣に「何かのお役に立つと思って恥をしのんで帰ってまいりました」と伝えたと言う。またその後の記者会見では「恥ずかしながら生きながらえておりました。」と発言した。これは「戦陣訓」が徹底的に頭に焼き付いていた証である。

横井庄一さん帰国後の第一声

敵軍へ捕まることの強烈な恥の感覚、捕虜になることを戒める「戦陣訓」が、投降を潔いとしない多くの日本兵をジャングルに潜伏させたり、自決の判断になってしまったのかもしれない。横井さんは「生きて本土へは戻らぬ決意」で配属されたと考えると、帰国の際の第一声の「帰って参りました恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました」というコメントは、横井さんにとっては大変な恥辱であったろう。しかし、あまりの時代錯誤のコメントに聞いたものは誰もが驚愕した。ちなみに、この「恥ずかしながら帰って参りました」はその年の流行語となった。

戦後の日本の変化に対して横井さんが適応できるかと心配されたが、驚くほど素直に現代の日本に馴染み、妻:美保子とも、めでたく結婚。その後、自身のグアムでのサバイバルについて耐乏生活評論家、あるいは生活評論家として全国各地で講演、19746月には第10回参議院議員通常選挙に立候補したというから驚きだ。

1997年に心臓発作で死去。享年82歳。

当時、グアムのジャングルに潜んでいたのは、もちろん横井さんだけではなかった。ゲリラ戦を展開しアメリカ軍を道ずれに相討ちしたもの多くいたという。戦後15年目の1960年には、16年間ジャングルに潜んでいた「皆川文蔵、伊藤正両軍曹」が島人に発見されている。


1964
年には厚生省による「皆川文蔵」を含む日本調査団を結成しグアム島ジャングルを「日本兵がまだ2名生き残っている」という米国通信社の情報により、3週間探索が行われたが誰も見つけることができなかった。このときの調査がより徹底的に行われていれば、横井伍長はその後7年間ジャングルに潜むこともなかったのかもしれない。

「英雄」横井庄一

28年間、ジャングルで自給自足生活を送ってきた横井さんに、日本では強靭な生命力をたたえることはあっても「英雄」と呼ばれることはない。しかしグアムでは横井さん対し英雄視する一面もあります。

「横井さんはグアムでは英雄であり、尊敬されている。自分を自然に適応させ28年ものジャングルで生き延びた。そして彼は祖国を愛していた。」と、また「日本では英雄とされていないようだ。英雄というよりむしろ好奇の目で見られている。」と現地のチャモロ人が語る。タロフォフォ滝で配布しているパンフレットにも確かにこう印刷されている。「英雄 横井ケーブ」と。


決して忘れてはならない歴史のひとつですね。




ようやく、ランチタイムです。


ここはガイドブックに載ってるらしいんですが、店の名前は忘れました(^_^;)

ボリューム満点らしいんですが…、
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でかすぎる気が…。さすがアメリカです。

自立できません( ̄▽+ ̄*)
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私が注文したフェイスタプレート。↓

画像では分かりにくいですが、かなり多いんです。

左のカップのサイズは日本ではLサイズ位です。

大きさが分かるでしょうか?

右のサラダも、具がデカイんです。

トマトは、日本で言う普通のサイズですので、

他の具の大きさが分かるでしょうか?
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おなかいっぱい!


この後、店の人がアイスクリームを店を出る間際にサービスしてくれたんですけど、、

入りませんって!



で、お気づきでしょうか?

ここでランチって(といっても午後3時前くらいでしたけど)


そう、長々と観光記事をつづけてますが、まだ


半日です!


もう、1週間くらいの感じかも知れませんが…。



ここで、パンクした車の組はテンションが下がって「帰る」とな…。

我々も島をほぼ半周してますので、あと行きたい所までの時間を考慮し、

北側への移動を開始します。


つづく…。

次が1日目の最後になる…、


予定。