生きてる理由、死なない理由。
カイワレ大根が2パックで50円で売られていた。普通のスーパーに行けば1パックで100円くらいはしそうなモノなのに半額から更に半額になるタイムセールなる案が下された理由とは一体なんだったのだろうね。わざわざ遠出をして買い物しに来た甲斐があったなと何の躊躇いもなく手に取ってみたものの今更になって冷静に考えてみるとどうやってカイワレ大根を使い切ろうかと頭を悩ます種となってしまったよ。カイワレ大根ってわりと好きで買ったりはするんだけれどどーやったって彼等のポジションと言ったら脇役がせいぜいな所でしょ?いくら彼が『我こそは!』と主役の座に立候補したとしても華のある人気者の引き立て役がお似合いなのだよ。かもサッパリ塩顔の彼等が本領を発揮する舞台っていうのは大概において熱烈な夏であってこんなクソ寒い時期に彼等を活かそうとしても鍋の彩りぐらいがやっとこさな訳さ。それなら自らをシッカリと脇役だと自認している水菜さんで十分だと思うんだよね。カイワレ大根なるモノは大根となる種が発芽した直後のモノを言うんですって。市販されているカイワレ大根のパックには数えられない程の本数の芽が生えている訳だけれども時間と手間暇をかけて立派な大根になるまで栽培したら1本で同じくらいの値段を付ける事が出来る訳でしょ?調べて見たら大根っていうモノは種は植えてから2ヶ月もすれば収穫する事が出来るんだってさ。二十日大根なんて名前通り20日さえ待てば良いだけなのにカイワレは発芽されると同時に収穫されてしまうと。そんな気の短い人が根気のいる農家という職業を選んだ心境なんかは僕なんかの伺い知れるところではない。たいてい僕がカイワレ大根を使う時っていうのは大根おろしと一緒に蕎麦やパスタにする時なんだよ。そういった一品っていうのはもしかしたら親子丼の様な仲睦まじい名前を頂ける様な料理なのかもしれないね。早々に若い芽を摘まれた彼等からしたら大人になるまで育てられた大根に嫉妬をするのかもしれないがそんな大根ですら薬味として脇役の座から抜け出せないという現実を目の当たりにしたらどう思うのだろうか。良い歳して就職もせずにバイトでなんとか食い繋ぎながらも諦めきれない夢を必死に追う先輩が未だに脇役に甘んじてるだけならまだしも周りからは大根役者なんて呼ばれてるなんて知った日にはきっとカイワレ大根も一気に成長して青首大根と呼べるくらいに真っ青になる事だろうね。さて、本題。先日かなり久しぶりに渋谷のTSUTAYAに行ってきた。若い頃はライヴやらデートやらでちょくちょく来たこの街も30代も後半になれば訪れる機会も早々ない。昔は若気の至りなんてヤツで小洒落たイタリアンでも食べた後に道玄坂や円山町なんかにしょっちゅう行ったが今となってはこんなラブホ街を徘徊していても素敵な出会いも期待出来ない僕には縁が無い土地だ。そんなアラフォーに突入しそうな僕がわざわざこの街にやって来た理由っていうのは『MOROHA』っていうアーティストのCDがどうしても欲しかったのだよ。去年の春先に放送されていた『宮本から君へ』っていうドラマのエンディング曲で知ったアーティスト。一本のエレアコが奏でるメロディーはシットリしていて心地が良いながらもシッカリと感情が溢れ出ていてそれに乗せるラップはトロける様に甘く叫び、泣きわめく様に唸りながら囁く。どの曲も本当に心を震わせる曲ばかりで、まさかこの歳になって音楽で泣きそうになるとは思わなかったな。彼等の歌う曲の様な歌詞を説明する時にはよく『どストレート』なんて言葉が使われがちだけれども胸元に食い込むシュートボールの様にバットだけではなく涙で声も詰まらせる様な曲達なんだ。当初は街も電車も空いている平日のお昼頃にでも向かおうと思っていたのだけれどもたまたまTSUTAYAの在庫を調べたその日がCD半額デーだったので週末の渋谷へ一人繰り出した。ぴったり帰宅ラッシュに重なった駅にはやっぱり人がごった返していてどれだけ寒かろうと電車の中でおしくらまんじゅうをしようと思わなかった僕は1本電車を見送って次の電車の座席に腰を下ろして何のCDを借りるかジックリと考えようと思ったんだ。計画通りに目星を付けた電車には空席がチラホラととあって僕は出来るだけ平静を装って空席へと走った。左手には『おすすめポストロックバンド10選』を鳴らすスマホ、右手には音楽をツマミに喉を鳴らす為のビール。そりゃー吊り革なんかを掴んでいられる余裕などない。そんなこんな電車がゆっくりと動き出そうとしたくらいの時に僕の眼の端に映ったのは大きなお腹の妊婦さん。せっかく座れる様に計算して乗ったのだから正直言って座席を譲るってのは余り気が進まなかったけれどあんまり深くは考えずに僕はその女性に席を譲ったよ。別に僕が名乗り出なくったって他の誰かが席を譲るかもしれないし、妊婦さんの中には敢えて座席に座る事を嫌う人も居るって話も聞いたりもするんだよ。何よりこういうのって飛び切り偽善っぽいでしょ?だから僕はヘッドフォンも外さずビールを片手に持ったまま『席どうぞ。』なんて具合に素っ気なく譲ったんだ。僕からしてみたら酔っ払いの出来心に聞こえて欲しくて目も合わせずにその場から離れたよ。そこから先にその妊婦さんが座ろうが座らなかろうがそれは彼女の自由な訳であって僕はお礼の言葉も慎ましいお断りの言葉も聞きたくなくてヘッドフォンを外さないという無礼を敢えて通したんだ。まぁこうやってブログに書いているって事は少なからず誰かに褒められたくてやった行動なのだろうけれどもね。それでもどうやら僕の行動は正解だったらしくて神様は僕の行いに対して褒美を与えてくれた様だよ。隣の車両に向かうと辛うじて一席だけ座席が空いていて僕は安堵の溜め息を漏らしながら腰を据えたんだ。ただその夜の神様は随分と羽振りが良くて僕の前には『菜々緒』さんみたいなエライ美人さんが立っていたよ。僕には彼女に席を譲る理由が無くて、つまりは話しかける理由も無い訳であってどーしたら彼女と渋谷デートが出来るかなんかを考えていたら危うく僕は別の所が立ってしまう所だったね。なんとか渋谷に辿り着いた僕はとにかく誰からも舐められたくはなかった。街行く若者たちに紛れても渋谷って言うとことん僕にとっては場違いな場所にも溶け込んでやろうと思ったのさ。ついさっきまで大人なポストロックに酔っていた僕は『BBQ CHICKENS』っていうハードコアパンクバンドの中でもダントツで最低な『Shibuya PM5 , Tonight』って曲を爆音で流しながら一人殺気だって街を闊歩していたよ。たぶんこの時点で既に僕は負け組。ただでさえ方向音痴な僕もヒカリエなんかが出来た辺りから渋谷駅は永久に攻略が出来ない迷宮だ。何処の出口から街へ出ようと同じ景色に見えるし、行き交う人たちも同じ様にしか見えやしない。駅の周りを時計回りなのか反時計回りなのかも分からないままとにかく彷徨ってみた。あの人と初めて出会ったモヤイ像やら、あの子とよく待ち合わせ場所に使ったタリーズなんかを見渡していたらなんだか何が目的で徘徊しているのか分からなくなりながらも目的地にようやく到着。ただ本当の迷子はココからだったよ。確かに渋谷のTSUTAYAは大きかった印象はあったのだけれどもココまで大きかったかな?レンタルCDのコーナーだけで3階と4階の2フロアーがあって、とにかく品ぞろえが半端じゃないんだ。とりあえず3階にある邦楽ロックコーナーと洋楽ロックコーナーを1時間以上かけて物色。かつてタワーレコードは『No Music , No Life』なんて大層な事を詠っていたけれども生きてくのに一番必要なのは何よりも金であって僕の財布は一足早く悲鳴の歌を唄っていたよ。何処を探しても『TOE』っていうバンドの新しいアルバムが見つからないので検索機に尋ねると4階にあると。エスカレーターを昇った左手側にはポストロックコーナーなる棚が3個も並んでいたよ。僕には同じTSUTAYAの店内でもノレンをくぐった先にある大人の楽園よりもよっぽど魅力的な光景に見えたね。本当はPCやHDDコンポに落とす作業を任す為のバイトを雇ってまで棚ごと借りてやりたかったけれども楽しみは後々に取っておこう思い必要最低限のモノだけを盗む様にかすめ取って逃げ帰って来たのさ。一生ソフトの受け手でOK、OK 映画 音楽 テレビ 漫画 次から次へと面白いモノが生まれて来るそれらを受けて受けて受けて受けて それが生きてる理由 死なない理由 僕が崇拝して止まない『真心ブラザーズ』の曲にこういう歌詞があるんだけれども正に僕がこの日思ったことは『こりゃー死んでる場合じゃねーわ。』って事だったよ。まだまだ僕にも知らない世界は確実に存在して、その間にも新しい世界は生まれて来る訳でしょ?歳を重ねるに連れて新しいモノに馴染み難くなってくるっていうのは正直否定し難い所ではあるのだけれどこの歳になったからこそ良さが分かる様になってきたってモノも確実にあるんだと思うんだよ。『It's a Small Word』っていう歌は世界平和を唄っているなんていうけれどもそんなのは嘘っぱちだと思うね。『世界は一つ』なんて言われたって貴方と僕の世界は確実に別にあって決して一つでは無いんだと思うんだよ。その証拠に貴方は僕の事を、僕は貴方の事を何一つ知ってはいないでしょ?きっとこの歌が唄っている事っていうのは『大丈夫だよ。辛くなったらいつでもコッチにおいで。』って事だったり『雨の日でも雪の日でも君が必要としてくれるならば僕はいつでも待っているよ。』って事なんだと思うんだよ。ただその歌詞の下の方には『尚、夢の国へのご入場の際には入場料が発生致します。』だとか『アトラクションに乗る為や知人へのお土産を買う際には出来るだけお金を一杯使ってください。』なんて小さなネズミが書いた文字で書いてあるはずだから注意した方が良いと思うよ。そんでもってヤツ等は僕等がいくら求めても向こうから来てくれる事は決して無くていつも待っているだけで同じお金を払って癒して貰えるならば向こうからコッチに来てくれるデリヘル嬢の方がよっぽど優しいと思うね。ミッキーマウスとデリヘル嬢のマウスのどちらが幸せを与えてくれるかは僕には伺い知れぬ所だけれども。それでも自分の世界を少しずつ大きくしていけば自ずと色んな世界と触れ合う事が出来るのだと思うんだ。未だ見ぬ世界に足を踏み入れれば自ずと新しい何かしらの発見があるんだろうなとは思うんだよ。今夜こうやって貴方と出会えた様にね。だから最近僕は少しずつだけれども色々なモノに手を出して新しい出会いを求める様にしているんだ。常にそれが幸せを運んでくれるとは限らないけれど小さな世界で退屈してるよりはマシなのかもと思うんだよね。それでも『死んだ方がマシだわ。』って心から思ってる人からしたら『そんなモンじゃねーわ。』って思うのかもね。僕だってそんな気分の時は音楽も恋も何もかもが偽物に見えたりするのだから気持ちは分からないでもないよ。そんな僕からしたら貴方の心を動かす重みのある言葉も今後も揺らぐ事ない決意めいたモノも言える訳がなくてこの日の僕はただそういう風に思ったってだけの話ってだけなんだよ。さてさて、僕のこのしょーもないブログも晴れて300件目の記事になるとの事です。これだけ文章を書いていれば文章のクオリティも上がりそうなモノだか下っていく一方なのが不思議ですな。昔の人は『他人の日記を見るなんて節操が無い。』なんてよく言ったらしいけれども現在の世界では努力してまで他人様に自分の日記を見て貰いたいと思うっていうのはなんなんだろうね。そこには匿名性っていう確固たる違いがあるのだろうけれども結局は自己顕示欲なのかな。それでもこれだけSNSが発達した世の中でブログなんていうモノは明らかに時代遅れであって未だにブログなんてモノに執着しているっていう事はロクなモノじゃないとは我ながら思ったりするんだよ。かと言って写真のセンスが致命的に無い僕が今更インスタを始めてフォロワーを集めたりだとかこれだけの拙い文章を長々と書き記している僕が一言を呟く為のツールであるTwitterに鞍替え出来る訳もなく時代に取り残されたまま、どんどんと閑散としていくこの場所で自己満足を開催していくのだろうね。それでもこういった場所が与えられている以上はきっと僕はココに留まるのだろうな。誰からも相手にされないながらもきっと自分が楽しんでいられるならそれでいいのだろうとは思うんだよね。まぁ明らかにペースダウンしているこのブログの更新がいつ止まったとしても全くおかしくはないのだけれども。『新しい世界を広げていますー。』なんて事を言いながらも僕の実生活はそれほど変化がある訳でもなく皆様に聞いて頂きたい様な事も伝えたい言葉も差してある訳でない訳で。単純に趣味として、楽しみとして書いている僕の文章が誰かの楽しみになってくれればそれは嬉しいけれどもそれに対して何かしらの努力をするっていうのは至極真っ当な事なのかとは思うけれど何か違うのかなと。自分の姿を出来るだけ丁寧に紗羅家だし、切干大根の様にカラカラに干からびる様になってやろうと思うんだ。