あ〜🙄…

昨日たまたま普段観ないQさんの動画ガッツリ観た事で分かって来た事ある🤔…


Qさん

1・27-31-11/15

2・7-32-15/18


Qさん本質が9

私、核が9

目指す方向性が一緒のようで違う


(もっと詳細な言語化試みよう🙄


そうだな🤔…


核に9を持つ私が望む「世界平和(=9の概念の一例)」が私の人生の最終目標なのに対して、本質に9持つQさんにとっては現状望む状態が世界平和(=9の概念の一例」なワケ😶


で、9って「寛容」「何でもあり」とも言われていて、当人「無私」の人。我欲薄め。実はそこに認知の落とし穴あって😅


欲が無いワケじゃなく「自分『は』こうしたい!」という欲がないだけで😅


言うなら🤔…


「いちいち表現しないでも上手い事行って欲しい」


みたいな欲はある😶

「いちいち表現しないでも」がミソで😶


自分はそんなに欲しがらないから世界的(全体)に平和であればいいの😌…


という感じで、自分は欲しがってないけど相手があげたがってるからもらってあげるとかは素直。


9は陰の数字。対人関係とかアクション的には一見受け身(奇数なので主体的、能動的ではあるがアクションが思考だから外からはその積極性に氣付かれにくい)。


世の中には色んな人がいて、色んな状態があると分かっている。何故だかそう分かっているし、陰の最大数なので(陰の数字、2・4・7・9)一番アクション起こさない(外に対する働き掛けや言動が少なめ)。


ーーー〈基本的説明〉1⇄9  ーーー

1は9つの数字の中で一番「活動欲」高い

対して

9は9つの数字の中で一番「思考欲」高い

逆に

1は9つの数字の中で一番「思考欲」低い

対して

9は9つの数字の中で一番「活動欲」低い


1は「活動欲」高く「思考欲」低い

9は「思考欲」高く「活動欲」低い


言い換えると

1は「考えるより行動!」

9は「動くより考えるだけで満足」


ザックリ言うとそんな感じで

あとは数字の順番に沿って欲が増減。


1  2  3  4  5  6  7  8  9


例えば

5だったら

1よりは飛び付くスピード遅いけど9よりは全然早い。で、9より行動前にしっかり考えないけど1よりはちゃんと考えてから取り掛かる…みたいな事。


ーーー


Qさん1・27-31-11/15


本質に9持つQさんが欲しているのは「9の状態」


色んな人がいて、色んな状態があるのは理解していて、やりたい人達がやってやりたくない人はやらない「状態」が理想。


お金儲けしたい人はすればいいし、欲しがっていいし、あるんだからあり続けていい。



対して、核に9持つ私(2・7-32-15/18)だとこれまで色々調べたりして自分で考えてみた結果(本質が徹底的に考え抜きたい7)、どうやら人の欲には際限なく欲しがる場合もあって(本質に9もあるのでそもそも自分はそんなに欲しがらない)、資本主義経済社会というシステムで成り立つ文明は土台が所有あって成立、対価交換になるので地球資源的に限界を迎える。


特に今の日本の生きる為にお金が必要(税金が貨幣というシステム)な状態ではどうしても自分の持てる何かしらをお金に換えてもらう必要が生じるのでお金を持ってる方に利が生じてしまう…


お金自体に善悪はないのだけれど、サアラさん言うようにゼロサムゲーム。


そもそもが誰かのマイナスあってプラスが生じるという性質。


これを元にした文明が地球上で未来永劫平和に続くワケない😶…


どこかで金融によって世界的連動して動く社会システムを終わらせないといけない🤔


と考えるのは私の核が9だから(本質7だし)



けど😶

本質9持ちQさんだと、とりま今望むのが平和な状態(9)。でもって、世の中は上手くバランス取れるんだから大丈夫でしょ、何でもありでしょうという(私から見て「神様」任せ😶←9持ちさんは自然の摂理も神様のお陰と思う、思いたいタイプ←あくまで「7持ちの私」から見て😅)


そしてそして😶

Qさん 1・27-31-11/15

スキルが31

4グループ😶


これ

前に書いたけど

ザックリ言って「損得勘定」😶

自分が損する事しない、したがらない


やる時はキッチリ形に残したいタイプ😶


お金とか自分の信用に繋がる行為が大好き😶…



なので😶

世界平和を望んでいるようで

私とは何かちょっと違う方向性…😶



4持ちと7持ち

一見方向性一緒の堅実タイプに見えるんだけど、よくよく見てくと方向性が違うの分かって来る😶


ーーー


ああ😅

逸れまくり😅



記事タイトルが何だっけ😅

「日本人の感覚のおかしさ」


あ〜😅

ハイハイ😅



日本人って感覚が世界的に非常識で

(と「私は」思っていて😅)


無償が尊い


と勘違いしている(と「私は」考えている😅)



金融経済下の社会システムにおける「無償の弊害」ってバカに出来なくて


最近、ほんの数日前に上の子と話したばかりだったんだけど(上の子22生まれで感情ボックスに7持ち😆)


世の中にボランティア精神がはびこると社会システムが成熟しない😶(現時点でこの表現が正確かはちょっと無視)


例えばだけど

ちょっと前に太田市の自然栽培農家さん言ってた…


「年金暮らしの年寄り農家が野菜を最低の価格で売りに出すもんで、若い農家が野菜の価格を上げられなくて農業で生活出来ない」



良かれと思ってやってる事なんだけど必ずしも良くないという…😓


これ、群馬あるある😶

日本あるあるとも思っていて😶


でもって

このブログで昔書いてた環境アドバイザーという無償環境保全活動するボランティアとか不登校支援ボランティア、ボランティア役員してみて😶…


ボランティアは闇が深い😶


分かって来たので今現在はボランティアなんかやるもんか!(ボランティアという善の人に物凄い事情通の悪が寄ってたかる社会構造になっている😶どうしたって)と思っているのだけれど。




疲れたので😅

(書きたい事ちゃんと表現出来たか?の確認もいいや😅氣は済んだ😆


いつか書きたいと思っていたネタは結構色々書けた😊)


記事終了〜