【本】
上野三碑

古代史を語る東国の石碑

松田猛 著

(図書館で氣になったけど禁帯出😭)
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(P3  一部転載)
はじめに

わが国の古代には、中国や朝鮮のように石碑を建てて自らの功績を誇示し、永く後世に伝えようとする意識が希薄であったようだ。その中にあって、高崎市山名町に所在する山ノ上碑と金井沢碑、多野郡吉井町の多胡碑は上野三碑(こうずけさんぴ)とよばれ、群馬県内の古代史研究にとどまらず、日本史上数少ない貴重な金石文として知られている。

このうち、多胡碑は那須国造碑、多賀城碑とともに日本三古碑と称されており、

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「多賀城碑」🙄…

多賀城と言えば🤔
坂上田村麻呂🙄…
中央政府を敷いて東北の地「も」手中に収めようとした時、「ここまではもうこっちのもん〜」っ示す為に建てたのが多賀城ではなかったか?🤔
(しっかり学んではないから正確な言い方が分からない😅)

だとすれば🙄

那須国造碑
って栃木?🙄

そして
群馬の多胡碑?🙄

この3ヶ所は早々に中央の魔の手(岩手出身者目線😆)が治めた地🤔…


うわ💦
「はじめに」を読むだけでも凄い事書いてある😳

今読みたい〜😭

けど実はこれ探しに来た訳じゃない〜😓💦(反ワク活動の資料探し😅  なのについ😓)

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(P4 一部抜粋)

さらに、碑文の「給羊」の解釈はさまざまで、そこに吉井連を賜姓された新羅人子午足の例のように渡来人の存在も想定されている。那須国造碑が評司の地位を獲得した在地豪族の譜代性の表明、告示を行っているように、多胡碑は建部した在地豪族が中央政府・国司と結びついた関係を誇示しているのである。

(略)

自然石を用いた碑形は古代朝鮮に源流を求めることができ、中央では廃れてしまった書風が七世紀の後半以降になっても残ったこの地域の特殊性も、渡来系氏族の存在と無関係ではないだろう。

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ああ…
大好物なんだけど😓

今はここまででこの本は終わり😭

また後で
思い出したら読みたい〜😭