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英霊の話で留めて
ああ😓なるほど😑
(日本人の現実から目を背けてる感はここが大きく影響してるかな🤔)


(転載)ーーー


《櫻井ジャーナル》


天皇が「臣民」に対し、ポツダム宣言を受諾したと発表して76年


昭和天皇(裕仁)は1945年8月15日、日本人に対して声明を発表した。「玉音放送」、あるいは「終戦勅語」と呼ばれているもので、「ポツダム宣言」の受諾をアメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に伝えたと「臣民」に発表したのである。宣言の受諾は8月9日の「御前会議」で決まり、翌日には連合国側へ打電したという。日本が正式に降伏したのは1945年9月2日。その日、東京湾内に停泊していたアメリカの戦艦ミズーリで政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎が降伏文書に調印したのである。


 日本が降伏した後、1945年9月26日に哲学者の三木清が獄死した。疥癬という皮膚病の患者が使っていた毛布を三木にあてがい、意識的に病気を感染させて不眠と栄養失調で死に至らしめた可能性が高い。


 その前日、ソ連のバチェスラフ・モロトフ外相は憲兵や警官など戦前の治安体制が存続していることを批判していた。三木の死について調べていたロイターのR・リュベンは10月3日に山崎巌内相と会い、話を聞いている。その際に内相は特高警察の健在ぶりを強調し、天皇制に反対する人間は逮捕すると言い切っている。同じ日に岩田宙造法相は中央通訊社の宋徳和記者に対し、政治犯を釈放する意志はないと明言した。


 ロイターのインタビュー記事が報じられるとSCAP(連合軍最高司令官)のダグラス・マッカーサーは「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃、政治犯の釈放」を指令し、6日後の10月10日に政治犯は釈放された。


 日本側は天皇制が維持されると認識、政治犯を釈放しないと考えていたわけだが、この判断を間違いだと言うことはできない。


 戦後日本の進む方向を決めたジャパンロビーの中心にはジョセフ・グルーがいた。1932年から41年にかけて駐日アメリカ大使を務めた人物で、彼のいとこにあたるジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻である。そのJPモルガンはフランクリン・ルーズベルトを中心とするニューディール派を倒してファシズム体制を樹立するため、1932年から33年にかけての時期にクーデターを計画している。


 ジョージ・ケナンやダレス兄弟と同じように、グルーはコミュニストを敵視していた。アメリカの外交官にはそうした人が多く、フランクリン・ルーズベルトは大統領時代、ファシストの巣窟と言われていた国務省を信じず、外交は個人的に信頼していたハリー・ホプキンスに頼っていた。


 グルーは日本の支配層に太いパイプがあり、秩父宮、近衛文麿、松平恒雄、徳川家達、幣原喜重郎、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介、松岡洋右らと親密な関係にあった。JPモルガンと最も深くつながっていたとされているのは井上準之助だ。


 「戦前レジーム」と「戦後レジーム」はいずれも「天皇制官僚体制」で、本質な違いはない。その象徴がグルーだ。そしてアメリカの手先になる日本軍の幹部は温存され、思想弾圧の中心になった思想検察や特高警察の人脈が戦後も生き残り、要職に就いた。