京都にいたあの人 0054 | テキサスポーカーディーラーが明かすポーカーの本当の勝ち方

テキサスポーカーディーラーが明かすポーカーの本当の勝ち方

テキサスポーカーにのめり込んで22年、カジノディーラー歴12年、3度のメシよりテキサスポーカーが好きな、マレーシアでリタイアメント生活を送りながらテキサスポーカーを楽しむ、テキサスポーカー・ライトのブログ


日本裏カジノ界では、日本全国で展開されているため、それぞれの地域で、いろんな人が働いています。



違う店舗に行くたび、各地方出身の出会う人たちがいて、面白ネタの情報交換が飛び交っているのです。



「名古屋はコレが当たり前!」だとか、「大阪ではこうなんだ!」。「沖縄ではココが違う!」とか、「仙台にはそんなのないよ!」などなど…。



同じ職種なのですることは同じでも、各地方によってそれぞれのやり方や、考え方の違いがあって参考になりますね。



あちらこちらと様々な地域の裏カジノに、出向いた経験があり、大阪ミナミでも、話がきて数か月滞在した。



もともと関東育ちなので、関西特有の言葉には驚きがあった。



皆がテレビで見るような関西弁で、とにかくよく喋る人が多く、すべてにおいてツッコまれてしまう。



さらに、ココでのVIPなお客さんからも「関東のヤツや!」「気ぃつけぇや~!」といわれ、ゲーム中でも一つ一つのしぐさにツッコまれ、とても圧倒されてしまうのだ。



関東の人間は『ポンコツ』(悪いこと、イカサマをする)が多いからなと言われたが、ポンコツの発症はまさにココ関西からなのである。



しかし、これは口にはできない事で、ポンコツを知っていても、口にして良い事は一つもない。



この店で知り合った友人が、京都の裏カジノ時代の話をしてくれた。



今ではメジャーデビューを果たし、独自の存在感でアピールしているミュージシャン。。。



「M○L○C○ M○Z○R」の2代目ボーカルとして活躍していた「GA○○T」さん。



彼はもともと自分らと同じ、カジノディーラー出身なんだそうだ。



これにはビックリで、この裏カジノ界から有名人が出てくるとは思ってもみない出来事だった。



彼はブラックジャックをまいていて、あまり、目立つタイプではなく地味に仕事をこなしていた。



当時でも、いまでも日本裏カジノでは「バカラ」が主流で、「ブラックジャック」は、かざり的な存在で、大きな利益を上げてくれるゲームではなかった。



さらに、当時の「ブラックジャック」ディーラーはサブ的なディーラーが行うもので、メインはあくまでも「バカラ」なのである。



そんな彼が表の世界に羽ばたいていったのだが、周りの人間からは「へ~、アイツがね~!」「ふ~ん、そうなんだ!」と、かるく言っているらしい。



表の世界で成功している彼はスゴイ!正直、羨ましいと思ってしまう。



カジノ界に見切りをつけて、夢であった「ミュージシャン」を成功させた強者の一人になったのだ。



いつか、摘発に合い、捕まってしまうかもしれない不安感と、安定した生活は望めない将来が、裏カジノを本業にもつ自分たちにとっては、今後を考えさせられてしまう。。。