昨日は猫ボラ。

 

 

で 掃除してる時に

キャットウォークの角に

眼鏡ごと激突した絶望

 

 

 

(昨日の写真。今朝は少し腫れてたあせる

 

 

 

人より視野が狭いのか?

キャットウォークの存在が

全く眼中になかった絶望

 

 

(キャットウォーク:壁等に取り付けられたこんな感じのやつね)

 

 

 

キャットウォークにぶつかったのは

実は今回が初めてではないあせる

 

 

今までに4回くらいやってる。

いろんな部屋であせる

 

 

1度は 頭を強打して

目の前が一瞬 真っ白になった絶望

 

 

 

 

たぶん 1度に1つの物しか見ていないのだ。

「餌のお皿」と思えばお皿しか見えず

「トイレの掃除」と思えばトイレしか見えていないのだ。

 

 

まぁ キャパの狭いポンコツやから

しゃあないあせる

 

 

 

 

 

そして毎回 傷だらけになる。

 

人馴れしない子は どうしてもいて

空になったお皿を取ろうとしただけで

本気のシャーの嵐。

 

そして爪を立てられる。

噛まれる。

 

 

たまたま爪か歯が 動脈に入ったらしく

ボタボタと流血が止まらんこともあった絶望

 

 

 

 

昨日は腕と手に毛布を巻いてやったけど

毛布の上からやられた。

 

 

 

 

(こっちは子猫の体重測る時にできた傷)

 

 

すぐ治るんやけどね。

 

 

引っかかれたり 嚙まれたりしても

その時は痛いけど 怖いとは思わんのよね。

 

 

「なんもせぇへんがな。お皿取るだけやろ~」

で終わる。

 

 

これが 大人の人間相手なら

ぶっ叩いてるかも知れん。

 

 

そんな人馴れしてない子でも

「それでもいい」と里親になってくれる人もいて

そういう人のとこに行った子は

時間がかかっても 甘えん坊に変身する。

 

 

「自分のことを ずっと見てくれる人(里親さん)の

 存在って偉大やなぁ」と いつも思う。

そして「ありがたいなぁ」としみじみ思う。

 

 

私たちがどんなに一生懸命やっても

どうしても お世話に来る人は毎回違うし

1人1人にかけてあげられる時間も限られてくる。

 

もっともっと

遊んだり

愛情をかけたりしてあげたいが

することが多くて なかなかそこまで手が回らない方が多い。

 


だから なるべく

なんやかんや 声かけしながらやる。

 

「おはよー」

「ちょっとそこ のいてー」

「ちょっと待っててなー」

「ぎょうさん食べて 元気になりやー」

「全部食べたん? 偉いなぁ」

「ごめん、ごめん。 びっくりさしたね」

 

 

 

 

 

命を守れなかった時は

とても苦しくて悲しい。辛い。

もっとこうしてあげた方が良かったんじゃないか、

もっと時間を取ってあげれば良かった、etc、etc……

後悔は尽きない。

 

 

里親さんが決まると別れは寂しい。

でもそれは 喜ばしいこと。

 

 

 

噛まれても 爪を立てられても

(頭や目を打ってもあせる

ボラに行くのは

みんな ただただ 目の前の命が愛しいからだ

(私は大人の人間より 動物の方が好きやから

 大人の人間に理不尽に叩かれたら多分やり返す)。

 

 

私たちに馴れてくれなくても 

先々幸せになってくれたらそれでいい。

 

 

動物のボランティアしてる人は

きっとみんな そう思ってやってるんだと思う

(悪質な団体や個人もあるけど

 それは既に動物愛護ではない)。

 

 

 

ポンコツはポンコツなりにあせる

これからも頑張る筋肉

 

 

 

 

音譜今日の1曲

 

 

 

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