数年前に一人暮らしの母親と同居しました。
正確には 半年間一緒に生活しました。

母親は、それなりに職人も使った。
家業を営んでいた家に 長女として生まれて
戦中 戦後を経験し

幸い大阪の田舎で空襲にも遭わす。
戦後も ご近所が 食べるものに困ってる時代に

白いご飯しか食べたことがないと言う 人
長女で5人姉妹の一番上で
何故か?男の子は育たない。
(絶家 確定)
家業を手伝って、幼い時からミシンを踏んで
生地の仕入れに 京都まで行かされた
おまわりさんが来たら 電車から飛び降りて逃げたとか、親戚のおばちゃんが大阪大空襲の時
焼夷弾が背中に当たったのを 目の当たりにしたとか。

しかし、生地仕入れに行っては 少し小遣いにして、芝居小屋や 映画館にも行ってた。
(私が洋画というものを見たのも母親が
猿の惑星 未知との遭遇)なんかを見せてくれた
お芝居も宝塚もミュージカルも 母親が
見せてくれた。

まあ、こんな母親だからめちゃ自由な人
親が入れてくれた 女子高も辞めてしまい。
洋裁学校も辞めてしまい。


そんな人 それは、それは、しっかりしてます
最近まで、原付にまたがり 京都、大阪 奈良
和歌山 滋賀 私より道に詳しく。
行動的て それがある
しんどいねん。救急車を呼んで欲しいから

自体は 急変していく。

母親とのこ
今まさに現在進行形で体験してることも
書いてみようと思います。

これは、私の経験に過ぎないけど
誰かのヒントになれれば
そして、母との娘の最後のやりとりへ繋がっていくのだと思い。
やがては 自分も その時を迎えることを
しっかりと自覚するために。

この手の話は長くなると 嫌になるから今日は
この辺で。