2019年の今ごろは、人生初の手術に怖がっていたっけ。あれからもうすぐ4年目を迎えます。卵巣扁平がんの初期といわれるのは、この一回目の手術 (2020年1月)の後なんだよなぁ。しみじみ。

 当初は、卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)の手術で、80%良性腫瘍のはずでした。術後の病理検査で「がん」判明。しかも抗がん剤が効かない珍しいがんでした。当時の主治医が文献を探してくれて助かりました。超珍しく、その文献によると治すには、転移しやすい箇所を摘出するという治療方法のみで、子宮も2つの卵巣も、盲腸、大網(だいもう)も失いました。術後の病理検査で「子宮筋腫1cm」発見。

 今のところ、転移も他の細胞が腫瘍になることもなく、経過良好だけど、なかなか治らない「失神性めまい」は、突然、前触れもなく起きるので怖かったりします。こういう理由から、立ち仕事ができなくなりました。この「めまい」が低血圧のために起きるのか、または「統合失調症」の薬の副作用なのかが分からず、様子見状態。

 早期発見! とっても大事。大切。自分の健康(いのち)は自分で守る。頼る時は、かかりつけの病院のお医者さんに相談! そのうち、体調が良くて文章をまとめられそうな時は (手術+入退院)×2 のことをまとめようと思っています。

 理想と現実。病気というか、やりたいことに向かって突っ走る傾向が強いのだけど、これってもしや私だけでしょうか? そんな私は精神疾患19年生です。2022年の7月で20年目に突入! やっと安定してきたよ。
 

 深層心理世界に閉じ込められた私のインナーチャイルドは、直視できない。それはベッドの上でいろんな管(くだ)につながれた幼い頃の自分の姿だった。たしか四歳ごろの記憶だ。当時は東京都に住み、小児ぜんそくで入退院を繰り返し、死にかけたときの姿だ。そのベッドの周りに親はいない、弟もいない、人がいない。薄暗くて、無機質な機械音だけが規則正しく響く空間に、私が一人。口元には人工呼吸器、両腕には点滴、お腹の上にはベッドから落ちないようにするためのベルト、胸には心電図の機械……。 
 インナーチャイルドセラピーで、インナーチャイルドには会えた。でも直視できなかった。抱きしめることも、声を届けることもできない。ただ、ただ、おそろしくて、こわくて。足がすくんでしまって、近づけなかった。このグループワークの他の参加者は泣いたり、叫んだりしている。それに比べ、私はその場から逃げ出したいぐらいに怖くてふるえていた。涙は涙を誘う。人間の野生の名残で、そう遺伝子に組み込まれているそうだ。だから私も誘われ涙が出ていた。そうやって泣いた。やっと「泣く」ことができる。


 私は親に褒められたくて頑張った。だが、親は人を褒めることがぎこちなかった。いつも「いい子だね」とだけ言われた。「いい子」「手がかからない子」と言われ続けると、私は頑張るしかなかった。褒めてほしかった。親からのほめ方は言葉だけで、態度や行動に移してくれなかった。いつも、いつも、言葉だけだった。

 

 頭をなでるとか、ハグするとか、笑ってくれるとか、嬉しそうな表情で「やったね!」と言ってほしかった。私の親は七十代、子どもをほめる方法が分からなかったのだと思った。


 弟が産まれてから、親は弟ばかりをかわいがった。弟は病弱ではなく、むしろ元気がいい。それに比べて病弱な私は捨てられたと思った。傷ついた。でもあの悪魔の言葉が、「いい子だね」という言葉が私を蝕んだ。蝕み続けられて、私は病んだ。完全看護の救急病院。お見舞いは一ヶ月に一回、三十分。親に甘えたい時期に入院したため、私は親に捨てられたという感じが強かった。


 現状で成績を出せなくなった私は、褒めてほしいから嘘をついた。うそつきの始まりだ。嘘つきをやめたかった。やめられずに現在に至る。今では、現実なのか、自分が作り出した嘘なのか分からなくなっている。
 私を愛してください。
 大事なことだからもう一度いいます。
 私を。
 愛してください。
 そして、幼い私が閉ざしてしまった「こころの扉」をノックしてください。
 私の名前を喜びにあふれた声色で、呼んでください。
 私は待っています。自分で閉めた扉の向こう側で。

 私は愛情たっぷりに育てられたけど、自分がその愛情を受け取れないことにうすうす気がついていた。だけど、どうしたらいいのか分からずにいる。自分が変わるしかないと思った。心理学を学びに福岡県まで行く。ウィズ コロナの生活になってからは動画で学ぶ。愛情を受け取れるだけの心の器が泣ければ、その愛情は落ちていく。心の器の表面を滑って落ちていくだけだ。
 心理学を学び始めて、分かったことは自分から行動しなければ、相手は反応を示してくれないということだった。だから私は、私から親にハグしたり、頭をなでたりしている。不器用だけど、ぎこちないけれど、これが私からの愛情表現だ。


 特に母親に「あまえている」。赤ちゃんがハイハイをしてジュータンの上に座っている母親に、軽く頭をコツンコする。赤ちゃんは何回もする。そのたびに母は笑いながら、笑顔で頭を軽くなでてくれる。私が寂しいときも、私は頭を母の肩にコツンコすると、母は笑顔で「どーした?」と頭をなでてくれる。それが嬉しくて、何回もやると母が笑いだす。ハグは毎日する。出かける時にハグ。「だっこ」がハグをするときの合図になっている。幼いころの入退院で親にして欲しかったことを今、取り戻すかのような感じだ。