当時の私の趣味の一つに「オンラインゲームをする」というのがあった。
 ゲームばかりしている、ゲーム漬け、そんな風に言われてしまうほどの毎日を送っていた。何もゲームだけが原因ではないと思った。現実(リアル)の成功経験が少ないから、自力で何かをして、それを完結させる力が私には無い。ゲーム以外で何かに挑戦し、失敗もするけど成功もするという経験値が、私には圧倒的に足りないのだ。そんな私が十年以上もはまっているゲームがあった。有料で、オンラインゲームの日を制定してしまうほどの老舗のゲーム。やり始めて十四年も過ぎ、仮想世界で遊んでくれていた友人が一人ずつ減っていったので、私もついにやめた。楽しかったけれど、寂しさのほうが強くなってしまった。このゲームはレベル制ではなく、スキル制をとっていて「MMORPG」と呼ばれていた。自由度が高く、知れば知るほどリアリティがあり、奥が深くて飽きない。
 十四年のうち五、六年は課金していたけど、まともに遊べてない日々もあった。ほぼ毎日のようにログインしていた時もあった。でも楽しい事ばかりではない。インターネットにつないで、同じ空間や時間を共有するオンラインゲームなので、人間関係の悩みがつきまとったからだ。この辺は現実世界と変わらない。
 コミュニケーション障害やHSPでもあるから、彼らとのチャットは楽しいけれど、程々にしていた。相手に気を使い過ぎて、とても疲れるからだ。
 せっかくのオンラインゲームなのに、ゲーム内では会話せずに無言で過ごす人は多い。外部のチャットツールを使って会話をして、ゲーム内では無言。なんか逆ではないですか? 知らない者同士でパーティを組み、強いモンスター討伐に行ったり、ダンジョンの攻略をしたりするのが楽しいのに、ソロ(一人)で冒険に行ってしまう。他人と「ワイワイ」するのが楽しいのに、最近はそういうのが煩わしいと感じる人が多くなったようだ。
 昔からこのゲームをしてきた私にとっては、とても寂しいことだった。同じ時間や内容を共有し、共に過ごすことこそがとても素敵なのだと思うのだが。
 時は巡って、また「あの日」がやって来た。
 この世界で、友人達の帰りを待つのは、もうやめよう。
「ずっと待っていたかったよ……」
 あの日から、いつも集まっていた時間にログインしているけど、もう限界だった。
 後に「東日本大震災」と呼ばれるようになったあの災害。それと原発の事故。天災と人災。どちらがヒドイとか、悪いとか、そういうのはよく分からない。でもどうか風化させないで欲しい。覚えていて欲しい。わがままかもしれないけれど、彼らの生きたかった思いを消さないで欲しいと願う。 
 前日までの毎日、決まった時間に集まっては楽しく過ごしていた私達。あの災害さえなければ……、今も共にゲームで楽しめていたのではないか。後ろを向いても過去に囚われるだけなら、私は前を向いて生きると決めた。
 だから、もう待つのをやめようと思う。
 ――ごめんなさい。
「また、会おう」
「また、遊ぼう」
 どれも叶わなかった。
 今も行方不明の友人がいる。あの災害から数年も経過し、復興も徐々に進んできている。だけど友人がどこにもいない現実は変えられずにいた。
 この日を境に、何人かの友人と連絡がつかなくなった。友人の死を認めたくはないけれど、連絡がつかないのは事実だ。ゲームの世界で出会い、毎日ログインして、同じ空間や時間を共有して、何でも話せて、バーチャル・フレンドだった。いつか実際に会えたらいいよな、と話していた矢先のことだった。
 彼らは、もうこの世にいない。つまり、そういうことなのだと思う。
 寂しくて、悲しい事だけど、受け止めないと彼らに失礼のような気がしていた。
 生きたくても生きられなかった友人たちのご冥福を祈ろう。