こんばんは。

開運神社アドバイザーの晴彦です。


寒さ厳しい折、皆様いかがお過ごしでしょうか。

1月19日、建勲神社に参拝してきました。

数霊の上では国常立尊ゆかりの日であり、出口王仁三郎昇天から70周年にあたります。

建勲神社のある船岡山は平安京の創建にあたり、風水の四神相応の北の守護神「玄武」の地とされる山です。

その地勢から、亀の甲羅と蛇が一体の形すなわち神獣の「亀蛇交合」を思わせる形であり、母胎の繁栄と永遠の生命の器の意義を表しています。

京都盆地の北の端にあり標高112メートルの丘で、南に開けた盆地が一望でき、平安京建都の南北軸の極北にあたる測量基点になりました。
 
頂上から平安京の北京極までの距離と、大内裏の南北長距離が、地図上で四七○丈(1410m)で一致することが知られています。

この真南に都の中央を通る朱雀大路が伸びていましたが、南の測量基点は、南山城の甘奈備山ともいわれています。


船岡山の名は『都名所図絵』などの地誌類によれば、山の形状が船に似ることによる命名とされます。

山の頂上には、磐座(いわくら)と呼ばれる露出した岩があり、神の降臨する依り代として神奈備(かんなび)山とみなされてきました。

『枕草子』で清少納言に「岡は船岡」と賞賛されたように実際は山というより丘のイメージですが、平安貴族の遊楽地であり葬送の地でもありました。

「船岡の若菜つみつつ君がため 子の日の松の千代をおくらむ 」(清原元輔) など多くの歌に読まれました。

戦国時代の応仁の乱の際、船岡山が西軍の陣地となり、以来船岡山周辺一帯は西陣の名で呼ばれています。


建勲神社

御祭神 織田信長公

御神徳 国家安泰・万民安堵の大生の神 厄除け、諸願成就、開運、産業指導等

京都市北区紫野北舟岡町49

交通 市バス「建勲神社前」又は「船岡山」下車徒歩約5分


建勲(たけいさお)神社は山の東南側にあり、地元では「けんくんさん」と呼ばれています。

御祭神は織田信長・信忠公で豊臣秀吉が船岡山を主君信長の霊地と定め、明治天皇の命により明治2年(1869)、創建されました。





境内と拝殿

境内の階段を登った所に拝殿があります。

本殿の東方に位置する吹き放ちで入母屋造妻入檜皮葺です。

内側に織田信長公三十六功臣のうち十八功臣の額を飾ります。

平成20年(2008)に国の登録有形文化財に指定されています。

参拝者が自分で自分を祓う用に祓い串が設置されていますが素晴らしい事だと思います。




船岡妙見社(画像は昨年のものです)

御神徳:諸厄消除・万病平癒・家宅守護

船岡山の地の神・玄武大神を祭ります。

今より千二百年昔、平安建都に際し風水が見立てられ船岡山は大地の生氣のほとばしり出る玄武の小山と卜され、ここを北の起点として平安京が造営されました。

玄武信仰は古くから行われ宝永4年(1707)発行の「霊符縁起集説」に「玄武神は亀なり。北方に鎮り諸厄を祓い給う。玄武神は今の妙見菩薩にして童形なり。玄武の大元は国常立尊なり。水の神にして宅神なり。病魔退散の神なり。」とあります。

すなわち御祭神は国常立尊ということになります。




謡曲「敦盛」の歌碑

織田信長公が桶狭間の合戦を前に
「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか」
の「敦盛」の一節を舞ったとされます。

信長公は様々な評価がありますが、御魂の働きとしては艮の金神―スサノオの神剣の破壊的側面を表す大自在天の役割でした。

その生きざまが電光石火の内にあるからこそ一世一代の勝負所を逃しませんでした。




「大平和敬神」神石

旧本殿跡地に建立されています。

昭和45年(1970)11月10日、修養団捧誠会より当神社旧本殿跡に建立奉納された高さ6メートルの大神石で、建勲神社宮司故松原宏整大人の天啓による神語「大平和敬神」の五文字を、同会故出居清太郎総裁が生前唯一の直筆として書き上げたものです。

なお出居清太郎氏は出口王仁三郎が当神社の主典をされていた当時、この地で交流がありました。




末社義照稲荷神社

祭神は国床立(くにとこたち)大神、猿田彦(さるたひこ)大神、宇迦御霊(うかのみたま)大神の三柱です。

宇迦御霊大神:私達の日常生活と深い関係の衣食の神であり生産増強商工繁栄の基を守護し給う。
国床立大神:国土安泰、住居安全の神であり病魔を退散し健康を守護し給う。
猿田彦大神:迷う者苦しむ者を正しきに向ける指導の神であり目的を成就し希望を達成し災厄を消除し交通の安全を守り給う。 

奈良朝の昔、船岡山を中心として秦氏により五穀豊饒養蚕機織の稲荷信仰が盛んに広められ、現在の末社義照稲荷社の発祥となったため、秦氏の守護神であり西陣織の祖神とされています。

また西隣に建つ稲荷命婦元宮には当地の霊狐が伏見の稲荷山に詣で神使になった話が伝わっています。

船岡山と伏見の稲荷山とは古くより神霊の交流があり、伏見稲荷の元宮ともされています。


参拝した当初は曇天でしたが最後にこちらで祝詞を挙げお祈りしている間に晴れてきました。




大鳥居

明神型素木造(みょうじんがたしらきづくり)と言います。

船岡山山麓、船岡東通に東面して建っています。

台湾産阿里山麓の檜による木造の明神鳥居で、幅5.5m、高さ7.2mに及びます。

平成20年(2008)に国の登録有形文化財に指定されました。 

今回は建勲神社のみについてご紹介しましたが、山頂は明るく開けており、船岡山全体は広大な敷地で森林に覆われています。

このように建勲神社には、風水の「玄武」の大地のパワー、地球の祖神である国常立尊の御神威等に加えて織田信長公の武の神徳をも備えた神社といえます。

現在、建勲神社は織田信長公の刀剣ゆかりの神社として京都刀剣御朱印めぐりを実施されています。

前回の記事で記したように、まさに大地に根差す武―刀剣の神徳を体現した神社であり、今年重要な開運神社の一つです。

来月中に開運神社ツアーを予定していますが、詳細はまた追ってお知らせ致します。

最後までご覧頂きありがとうございました✨