なにげないことばでも
うれしくなったり
かなしくなったり
はらがたったり
おちこんだり
よろばせたり
かなしませたり
おこらせたり
イラつかせたり
それに
気付けるうちはまだいい
気付かせてもらえるうちはいい
気付かないまま
なにごともなかったように
ながれてゆくことが
おおいんだろな。
誤解だとおもってることは
じつは誤解の誤解かもしれなくて
誤解だとおもってることは
自分が誤解してるのかもしれなくて
日常の会話でも
電話でも
メールでも
手紙でも
お互いの想いがキチンと伝わるなんてのは
本当に本当にキセキなのかもしれない。
わかるまで
キチンと
伝え合うこと。
それができるひとは
本当にいるのでしょうか。
誤解されようとも
つたえること、が、
やはり
必要なのでしょうか。
誤解が誤解だと
気付くほどに
こころから
つたえあえるひとは
いるのでしょうか。
きちんと
つたえたいと
おもっていても。
きもちが
こころが
しゅだんが
じかんが
ことばが
おもいやりが
たいみんぐが
なにかがたりないような
そんなきがするのです。
BGM 『 why?-y-/米倉利紀 』