今日×一の女友達に会ってきた。
あっちから連絡してくれてラザールでお茶を飲みながら色々近況を話し合った。
こりずに彼女は不倫相手にされてたりした。
ダージリンを頼んだぼくとチョコケーキとカルピスと彼女。
僕は前の通り糖尿の気があるくさいのでケーキは当然頼まない。
紅茶の柔らかい香りと僕は向き合って、彼女の話を延々と聞く。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
連呼とまで言えた。
しばらく諭し、彼女にやめるよう注意を促した。
この時僕には2つの感情が芽生えていた。
1つ。
何故この娘は頭のまわりも良いし把握できる環境もあるのに自分からド坪にはまるような事をするのだろうか。
1つ。
もう何年も友達をやって、いい加減に幸せになってほしいと思う。
静と動のような2つの感情が混ざり合いとても悲しくなった。
僕ではその寂しさは癒してあげれない。ましてやこう思うことこそ欺瞞であり偽善であると思うのは僕だけだろうか。
やらない善とやる偽善とはいうものだが、ぼくの答えはいつも一つ
そう。「やる善」である。
自分にとっての善を絞って行う。
これはぼくが愛媛に帰ってきて思ったことだ。
やらない善はもちろん、やる偽善など数多にあるものだ。
少なくともぼくは見てきた。
このくだらない自信こそ今のぼくの原動力である。
まあ結局うそも方便なのだが。
あなたはどう答えただろうか。
このフラットなぼくはいつもぼくの隣にいる。
そんなフラットなぼくは2時間で溜まった感情、情報をコントロールしようとこうやってぼやきを叩いている。
かたかたかた。
キーボードを叩く音とBGMがぼくの耳に流れている。
そういえば、彼女はこんなことも言っていた
「25こえたら婚活しようかな」
おいおい。
そんなこんなで彼女と別れた。午後の5時だったろうか。
今日は腹の調子が悪くなったので飯は食べていない。
あすには虫が鳴るだろう。あすなんて薬飲んで寝たらすぐにやってくる。
ともかく、彼女はちゃんと自分の道をいけているのだろうかといつもはらはらしているのだ。
いや、道なんて歩いてみないとわかんないか。
というかぼくがまず幸せになれるように努力しよう。
他人に幸福論を諭すならまず自分が幸福にならねば。
目指せ億万長者。ぼくはとてもがめついのだ。
ではまた。