夢の中で
フられた。
学校であの人を探していると
描き置きが教室の机の上にあった
あたしを見るのはもうやめなさい
(中略、中身忘れた)
さよなら
須加原光平くんへ
(相手の名前)。
なんだよ、最後まで間違ってんじゃん。
でも
ありがとう
夢の中で
フられた。
学校であの人を探していると
描き置きが教室の机の上にあった
あたしを見るのはもうやめなさい
(中略、中身忘れた)
さよなら
須加原光平くんへ
(相手の名前)。
なんだよ、最後まで間違ってんじゃん。
でも
ありがとう
今日の帰りに月が見えた。
生まれて初めて見た月の色だった。
バタークリームや完熟したバナナを思わせるような
そんな、甘い甘い月だった。
艶は焼き芋の様に少しボソついた感じで、三日月の様な形をしていた。
綺麗というよりは、とても人工的というか・・・今の僕の言葉では上手く伝えれない可愛い月だった。
そんな月を見ながらふと自分の事について考えていた。
今少しずつ新入社員の子たちが頑張って、僕を越そうとしている。
負けじと僕の同期も。
彼らはそこそこに仲が良い。
そんな中に自分をねじ込んでも面白くない。
多分自分の弱い所だけが見えてくる
出来れば見栄を張りたい。
久々に練習を仕事場ですると、僕はとてつもなく弱く自分がなっているのを感じた。
それは、昔に感じた練習漬けだった日々の屈辱感で倦怠感マックスで朝を迎えた日と同じ様な気分だった。
あれをみんなに見せたくないよ、流石に。
ここで立ちどまらなければ、次はまた1年後かもしれない。
また弱くなる
それだけはだめだ
だから、自分だけのポジションを作ろうと思う。
誰にも来れない、誰も寄せ付けれない孤高の存在になろうと思う。
それが最善
今一番の望み
頑張ろう
今宵の月の様に
今僕は俗にいう敗者とも言えるステージに立っている自信があるのだが理由もなしにこの負け犬根性がついたという訳でもないと考えている。
タイトルに掲げているいわゆる未知の領域、つまり本質を永遠に理解できないところにいる人が近くにいたkらではないかと推測しているのだが、それは様々な分野にいる。
学問で、頭の総合的な良さで長けているもの。
感性で、認められる才能を持ち発揮できているもの。
体力で、すばらしい指先の器用さとストレスに負けない強い体をもつもの。
人として、格上に居続けるもの。
ふむ
僕はさしずめどこにも当てはまってはいないだろう。
僕はご存知の通り美容業という感性と年季のいる技術が試される世界に一応いるわけだが
必要だと思ったものについては人一倍調べた。学んだ。
それでも見えてこない。
そう、本質的な所が見えない。
何事も僕は一番大事なものはものごとの本質的な所を嗅ぎわけることだと思う。
さてさてみんなはどうだろうか。
例えばリンゴを売っている店があるとする。
そのリンゴは何故売っているかと考えるだろう。
まあ売れるから、みんなが好きだからたかいう端的な答えを出すとしよう。
逆になぜ買うか考える。
それはリンゴの味を消費者が知っていておいしいと感じるからだろう。
つまりリンゴ=甘酸っぱくておいしいということ。
ここから全てが始まる。
じゃあリンゴはどこで食べれるのか。家か。
リンゴの味を持ち出せたらよいのにと考える。
何故そう考えるか。
売れるだろうと予想出来るから、あとはどこでもリンゴの味を感じたいという心があるから。
そうだ、ペットボトルのジュースを隣に置いてみたら買っていくか・・?
ここからは消費者の考え。
一見この考え、分かっているようで実は抜けていたりする。
前述は商業に入って行ったが、これはどこにも通用しうる。
例えば言葉。
信じるという言葉がある。
信じるというのはその対象が裏切らない自信があるからだ。
でもなぜそこで信じるという言葉をつかったのか。本当は信じるなと言いたかったが心で今その言葉を使ったらダメだという事を考えている可能性もある。
大事なのは放たれた言葉の意図。
そうすれば全てが繋がる。
その本質を僕は知りたくて色んな美術を見てヘアスタイルを見て女の子をみてメイクを見て
でも美容師にはいらなかった。
遅かった、知るのに。
全ての人がそこに行こうという気はないし、同調できることもない。
だから探求心だけ先行して、自分にとっての勝者にはなれない。
勝者とは結局自分の位置に対して自分が満足しているかということなんだなと思う。
これからも僕は追い続け、未知の領域には行けないだろう。
でも、多分僕の通った人生は誰かにとっての未知の領域なのかもしれないなと考えると、少し元気が出る。
髪が落ちた位置が、バランスが、ボリュームが。
美容師にとってのその一切りが、お客さん一人の仕上がりが
一人のカッターとして成長できた時、初めて僕はスタートラインに立てるのだろう。
わからんものはわからん!!だからお預け!!
蓄えたものは使える時につかったらいいの!!
ばーか!!
良い音楽、歴史に残る音楽、好きな音楽
色々音楽にはあるだろうが僕はロックが好きだったりする
ロックの名曲といわれるものの背景にはその人の思想だったり何かへの冒涜や批判、何かに相反するものが多かったりする。それはアンサンブルで表現するかテクニックで表現するか歌詞で表現するか・・・
共通することはどれも、人の心に共感することの出来る良いと思える心を相手の心に作らせれるというところだろう。
良くお釈迦様が言う
「みかんを食べる時は手で剥き、匂いをかぎ、色を目で見て舌で味わい、のどを通る音を耳で感じなさい」
という言葉があるが(多分こんな感じ)、この5感と呼ばれるものの内の一つ、聴覚がどう脳みそに行くか。
聴覚から受け取りどういうものか感じる。こう弾いてるのかなとか、こう歌ってるのかなとか、こう考えて描かれた歌詞なのかなとか。
501の歌詞は基本的に妄想で出来ている。
つまり頭の中で思い出や聞きかじった事を混ぜてるだけ。つまりオナニーさんである。
501に関わらず、最近はそういった背景を見せるバンドが多くなった気がする。
これはリアルではないのではないだろうか。
最近思う。
ロックがアメリカで生まれて広まったのは黒人が歌った結果。
黒人という当時の逆境が、反発心や衝動となり低所得層に受け入れられ、ついには白人が真似をし昇華していった。
白人への静かな戦い、それがロックだった。だからロックはリアルなんだと思う。
話は変わるが日本で良く反戦ソングを歌う人たちがいる。
ミサイルがーとか、子供たちがーとか。
さらに言えばそういう歌をロックと認識している人は多いのでロックだと言われる。
果たしてそれはロックなのか?リアルなのか?
実際に戦地に赴いて飛び交うミサイルを見たのか?
地雷で足をふっとばしたのか?
隣で子供が飢えて病気で死に行く様を自分の目で見たのか?
マシンガンの銃声を生で聞いたのか?
何かを助ける気持ちとただの同情は違うのではないだろうか。
雰囲気だけ味わってその人の気持ちも考えず、なんとなく可哀そうだから支援する
そんな現状が今日本にはあると思う。
心で向き合おうとしていない。
今の日本は先人たちの頑張りによって何とか保たれている。
時代は変わる。人も変わる。
僕は東京から帰ってきて何も感じなくなっていた。
感じることが怖かった
何かに心を動かされることが怖かった
誰かを好きになることが
友達になることが
怖かった
今は大分マシになった。
でもやっぱり怖い。
怖い。
この怖いという気持ち、前を向こうと右往左往している自分だけが今の僕にとってのロックなんです。
本当のことを知り、本気で向かい合って、本気で傷ついてやっとその先に本当のリアルがあるのかなとか思う。
向かい合って、生きていきたい。
東京から帰って1番得たものは
夢から覚めた目と
自分が動かないと他人の心は動かないって事と
今ここにあるものこそが真実なんだという事
世界がどうとか政府の裏とか関係なく
今ここで生きてて必死なんだと
うん
ただの音楽聞いてた雑感でしたとさ。
少し普通じゃなかっただけ
空を飛べるだけ
海を裂けるだけなのに
人の上に立とうとか
超えようだとか
周りがはやして僕は神になった
何でも出来る訳じゃない
無機質でもないし
自殺できないし
何千年もたった今
自分を騙して
自分を^ブラフ^マンと名乗った
偽って
また騙して
人を殺して
また騙して
僕の体は呪われて
祈られて
恐れられて
羨まれて
ワケにされる
僕を救う神はどこだ
神を救う神はどこだ
神は救われないのか
どれだけ血を流しても
どれだけ救おうとしても
そろそろまいったな
疲れた
出来れば誰か
そう、そこの君でも良い
変わってくれないか
ブラフに僕をしてくれないか
偽って
また騙して
人を殺して
また騙して
僕の体は呪われて
祈られて
恐れられて
羨まれて
ワケにされる
僕を救う神はどこだ
偽り続けて
お伽ばなしにはもうなりたくない
出来れば僕は
偽らずに静かに眠りたい
ああ
僕を救う神はどこだ