こんにちは
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RaiNworldのryoです。
私たちは肉体を持(保)ったままでアセンション(次元上昇)のできる時代を生きています。このことの意味を考えてみたい、そんな記事になってます。
肉体を持っているというのは、エゴを持ったままと理解できるでしょう。
それまでの時代──肉体を捨てなければアセンションできなかった時代では、死なんくちゃならんかった。このイメージを納得するのに良い教材があります。
漫画家・士郎正宗の『仙術超攻殻ORION』ていうマンガに、スサノオ神が出てきます。ある場面で、お坊さんらしき人物から、悲惨な目にあっている母子を助けてくださいと嘆願されるのですが、スサノオは母のほうを殺してしまいます。このときの描写が面白くて、死んだ母は魂の姿になって「自由よ!」と喜んでいるんです。ところが残された子どもの方はお母さんが死んじゃったもんだから悲しみに暮れて泣きじゃくっている。これに苛立ったスサノオときたら、「うるせえっっ」と一喝するとともにその子どもも殺しちゃう。そしたら次のコマではやっぱり魂の姿になった子どもは「自由だ!」と言いながら昇天してる。ようするに、地上を肉体の姿で生きることは、(まさに体を具えているという意味での)具体的な事情を生きることと同じなんですね。その肉体から解放されさえすれば、自由になれる。
【『仙術超攻殻ORION』の詳しくは岡田斗司夫さんの次の動画をご覧ください。】
https://youtu.be/65GHzlywiWc?si=IlnUG4YAovs1KyzM
──これが、前時代のアセンションのイメージだと思うんです。
士郎正宗が描いてみせた母子という事情がそうであったように、エゴがゼロ状態というのは、地上を生きる人間の姿ではありません。肉体さえあれば人間であるわけではないように。
人間であるというのは、自分が自分であることの知識を持っているということ。その知識というのは記憶、経験、アイデンティティ(さっきの士郎正宗のマンガでの母子の姿を思い出しましょう)といった言葉が語るものです。そこには自我、つまりはエゴも伴っています。
それでは、肉体を持(保)ったままでアセンションできる時代におけるエゴとは、どのようなものなのか?
思うに、エゴはエゴでも、自己中やワガママといったネガティブなフィーリングに接しているエゴではなくて、「スピリチュアル」や「潜在意識」、「自然」や「宇宙」などの言葉を手掛かりに導かれる世界に親しみもつようなエゴなのだと思うのです。
あえてひと昔前の言い回しを使えば、教養を身につけることで人格が陶冶されるがごとく、おのれの良識を自覚自得した、そんなエゴを伴って地上を生きる。──これが肉体を持ったままアセンションをする際に伴っているエゴなんじゃないかなと。
また、エゴと同様に「思考」の言葉もしばしばアセンションするうえでの障害と語られることがあります。「外側の世界に反応する思考」といったふうに。他方で、ラムサなどは思考にも次元があると教えてくれてもいます。
思考の起こりに目を向けると、思考は言葉によって組織立った知識をベースに発動するものです。そしてエゴはある思考の結果として、その思考の原因の位置に付いている。
肉体を持ったまま地上においてアセンションする際のエゴの意味は、エゴとエゴに関する知識を伴って生きる、というのがポイントになります。
「エゴとエゴに関する知識」と言いましたが、これが次元の高い思考を理解するうえでのカギだと思います。
というのも、思考のマテリアル(素材)やテーマ(主題)によって、その思考が展開する風景は違ってくるからです。
たとえば、同じことを言うのに悲観的な視点で話したり楽観的な視点で話したりするのも、〈視点〉というのが「エゴ」ないしは「エゴに関する知識」の表現仕方の違いだと言えますよね。
そうした意味での〈視点〉を〈思考〉だと変換すれば、非覚醒の意味でのエゴから覚醒状態としての魂目線(ハイヤーセルフ)までの上昇のグラデーションを示唆するアセンションの概念が、(「人格」や「エゴ」に陶冶・洗練のポテンシャルが見てとれるように)〈思考〉にもアセンションの可能性を見てやれると思うのです。
そうじゃなければ地上で肉体を持ったままアセンションできることの意味がわかりません。それ地上である必要あるのかって感じです。このツッコミを突っぱねてしまうと、士郎正宗のマンガのように、死なないと「自由だ!」となれないことになってしまうでしょうし。
以上の “思考” を踏まえて、この記事の最後にぼくが指さしてみたいのは、エゴも、そしてエゴに関する知識とが言葉として作動することにより発動する思考も、どちらも音楽のようにイメージしてはどうだろう、ということ。
音楽は言葉以前のフィーリングにかかわるものです。だからこそ私たちは言葉にかかわる作業をするときに、その作業を捗らせるような音楽をBGMにしたりする。それは言葉(としてのエゴや思考)をととのえるために、言葉以前の領域──フィーリングをケアすることです。
このフィーリングこそ、この肉体を持って生きる地上におけるアセンションのパラメータになっている。この洞察はからは次のようなメッセージを引き出すことができます。すなわち、アセンションへと通ずるフィーリングのためのエゴや、そのための知識、そのための思考もありうるのではないか、と。
この記事はここまで。
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