こんにちは
ご訪問ありがとうございます。
RaiNworldのryoです。
今回は「根拠のない自信」や「すでにある意識」について書いてます。根拠のあるなしで、ないほうにシンパシーを感じつつも、根拠として数えられるものがまったく不要だとは言えないのでは? むしろその根拠を手段として〈根拠のなさ〉へとテイク・オフ(離陸)あるいはアセンション(超越)できるんじゃないの?って話。
つい最近のこと。職場の人からこんなことを言われました。「きみの良いところは根拠のない自信があるところだね。」
潜在意識の世界では、「すでにある」の意識・充足の意識であることが大切です。
欲しいもの・必要なものが目の前にないように思えても、「いまだない」の意識でいることは、不足感・不全感につながり、自分の魂の栄光を信じられない状態に陥ってしまう。
職場の人にかけられた言葉からやってきたのは、
「ある」ことについて考えてみたとき、根拠がないにもかかわらずそう思える、というのが充足の意識なんじゃないか、──そんな理解でした。
逆の、「ない」については、根拠があるからこそ充足する。
たとえば科学やビジネスの営みもそうですね。実験で得られたことに裏打ちされた結果であったり、仕事で挙げた実績に基づいた判断ができたり。それらが確かな根拠として周りの人を納得させることができたりする。
ですが、根拠があるということは、その根拠を否定できるということでもあります。強みでもあるはずの根拠があることそれ自体が根拠によって支えられるものの弱さにもなってしまうのですね。
それに対して、根拠がないというのは否定する取っ掛かりがありません。
信仰がいい例で、なにか根拠があるから信じている分にはその根拠を否定して改宗させる余地がありますが、根拠なく信じている信者に対しては説得の手掛かりがないのです。
だから「根拠のない自信」はそれを持てたら常勝無敗・最強の切り札といっても過言ではない。アファメーション(自己肯定感を育くむこと)の達成目標と言っても良いでしょうね。
とはいえ、「根拠のある自信」と「根拠のない自信」とが両極端にあるわけでもないと思うんです。
受験勉強でさんざん使い込んだ問題集が受験後にはタンスの奥に仕舞い込まれたり捨て去られたりするように、根拠もまた来るべき〈根拠のなさ〉へと離陸(テイク・オフ)するための足掛かりになる。そうして「根拠のない自信」を得られたときには、それまで自信の根拠としてあった取り組み群は忘れてしまう。むしろ、忘れていたほうがいい。
そういうものとして、根拠のことを見てやることができるんじゃないでしょうか。
最後に、これも大事だという感じがあることとして、
「根拠のない自信」にせよ「すでにある」意識にせよ、身につけようと試みて得られる類いのものではない気がしています。
悟りや目醒めといっしょで、悟ろうとか目醒めようという意識そのものが、悟りや目醒めから遠去かることになる。
じゃあどうすればいいの、ってところで、「今に集中する」「丁寧に生きる」「瞑想する」などの、〈自分が感じる心地良さに触れようとする意識〉へと、自分を調律する営みを続けるのが大切なんじゃないかと思うのです。
悟りや目醒めがそうであるように、「根拠のない自信」や「すでにある」の意識にしても、そういう営みをするなかでおのずと、そしていつのまにか、自分がその雰囲気をかもしているようになっている、って話なんじゃないかな。
だから、この記事の冒頭で書いたみたいに、他人から言われたりするくらいが、自分が根拠からどのくらいテイク・オフ(あるいはアセンション=超越)できているかの進捗の確認をするのには良さそうだなと。
でわでわ。
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