” 私が面白い(大切)と思うものを、誰もそう思わない。
そう思えるよう表してやる。それが表現。 ”
見逃してがっかりだった山口晃さんの日曜美術館。
再放送(ヽ(;▽;)ノ) を録りながら、なんかやりながら見たので、
改めてじっくり2回目。
いや、実家にあった小中学生時代の絵のクオリティ!
同じ画塾に通った近所の食堂・五十番のお嬢さんが今どうしてるのか気になる。
上の言葉がとても印象に残った。たしかにー。
私が絵を描いたり、写真を撮ったり(記念記録的な意味あいじゃない時)してる時って、
単に自分が面白くてやってるだけだけど、
意味をつけるとしたらこういうことなんだろうか?
表現。 か。
次元がまったく違うけどね!!
なんかいわゆるアーティストって、自分と脳の構造が違くて、
想像つかない行動とか発想・考え方を持つ生き物ってイメージ(岡本太郎とか?)
なんだけど、
山口さんめっちゃ親近感。
まっ白なキャンパスの前で、すぐ作業始めないで、
ゴミ分別に1時間も費やしてさぼって今日もういいかな、とか(笑)
(でも、だから個展までに間に合わない絵が何個もあるってことになっちゃうのか?)
“描き始めが一番かかる
怖いわけですよ
描かないと宝の山ですから
可能性100%の素晴らしいものがあって
描いていくっていうのはものが出来ていくんじゃなくて
100%の可能性が90%に削られて80%に削られて
可能性がどんどん無くなっていく
可能性を無くして
そういう確定性に変えていく ” この感じもすごいわかるー。
私が描くのは、まったく次元の違うこんなもんだけど。
それさえも、最近では、旅中のメモの少なくなり(1人旅じゃないとムズい)、
最初のまっ白な部分から手をつけるまでにさら時間がかかり、
取りかかってからも下書きで終わるパターンを踏んでいる・・・
あとで、ちゃんと描いた時のを読み返すと、ああちゃんと毎旅やるべきと思うのだけど。