【私と偉人】石原 宗祐 | 超税理士倶楽部

【私と偉人】石原 宗祐

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どうも。
吉村貫一朗ことスマイルニコちゃんです。


・・・。


新撰組をあまり知らないわたくし。
話に乗り切れてない感がありまして。

そうこうしているうちにあれよあれよと・・・


新装開店!!!


いやあ、なにはともあれ。


めでたいめでたい。


カズオメラメラ談(倶楽部内メールにて)
吉村貫一朗とは・・・
「吉村は新撰組最強。総司より強いかも。めちゃ賢い。そして何より最高の父親。詳しくは壬生義士伝で。」


・・・

・・・・・・

いいねえ。吉村。
まだどんな人か確認してないけど。
とてもいいねえ。

気に入りました。


では、そんな吉村ニコちゃんがお送りいたします。


「偉人さ~ん。いらっしゃ~い。」


はですね。


正直かなり迷いました。
色々尊敬する人や偉い人は沢山いるものですから。


しかしながら倶楽部の中で唯一の九州。
これはマイナーでも地の人を紹介したい!と思い。
選んだ方がこちら!!


石 原  宗 祐


だ~れ?

ほぼ100%の人が思ったかもしれません・・・。


が!!


歴史の勉強でこの人が出てきたときは小学生ながら・・・


「すごい!!」


と思いました。

記憶力の悪いわたくしが、今の今まで頭の片隅に名前が出てくる人ですから。

その当時でもインパクトがあったんです。


さてさて何をされた人かと申しますと・・・


約250年前に海を干拓して新田を作った人なんです!!
しかも私財をなげうって!!


できた田んぼの名前は・・・(田んぼじゃ雰囲気でないですが・・・)


猿喰新田!!(サルハミシンデン)

場所はわたくしの事務所から車で10分位の所です。


250年も昔に!!
機械等がない時代で!!

自分の財産なげうって!!
海だった場所を干拓して!!
田んぼを作るなんて!!
現在でも稲穂が立派に実ってます!!



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石原宗祐が23歳の時、享保の大飢饉に遭遇し村から126名の餓死者を出したことが、後の新田開作のきっかけになったとも言われています。
1757(宝暦7)年より猿喰海岸の干拓が始まり、難工事の末、1759(宝暦9)年約33haの新田が開かれました。


何故いまだにこの方にロマンを感じるかと申しますと。


何もないところから、物を生むということを成している人


だからなんです。


海水が流れ込んでいて、作物がただでさえ育たない環境の地を干拓し田を作る。
しかもその田が今現在でも使われており、お米が毎年できている。


仕事をしていて思いますが、事業を行っていくことも何もない状態から物を生んでいく行為だと感じることが多々あるわけで。

ゼロの状態から事業を開始しそれを継続していく難しさを痛感させられます。


行為こそ違いますが、石原宗祐は無から物を生み、自分が亡くなった後になってまでもその営みは続いている。


やっぱり凄いですよ!


そんな人がすぐそこ出身で、尚且つその人の成した成果がすぐそこにあるとは・・・


俄然やる気が沸いてきます!!


まだまだですよ。本当に。やるべきことは沢山あります。


そんな身近な偉人のことを思いながら、九州で仕事に励んでいる吉村ニコちゃんでした。


明日は我等が倶楽部の原田左之助(どんな人か正直分かりません)の・・・


スケトウダラタラちゃんです!!


いやあ、「無茶振り」ができる順番を授かって感激です。

無茶振りの神様ありがとう。


昨日の鯨のプレゼント応募しましたか?
締め切りが迫ってますよ!
お急ぎください!


ということで・・・


超税理士倶楽部新装開店記念!!第二弾

抽選で2名の方にスマイルからの年賀状があなたの元に!!
年初の挨拶をメールで済ませたりする世知辛い世の中。
そんな中、九州男児からの直筆年賀状があなたのもとに!!
住所、氏名、年齢、職業、超税理士倶楽部感想を明記のうえメールにてどしどしご応募ください。


イメージ図↓


締切11月9日メール必着

抽選の結果は元旦の朝の郵便ポストにて確認してください。
あくまでも画像はイメージとして使用してますのであしからず。

ちゃんとニコちゃんの直筆が届きますよ!
ご応募心からお持ちしております。


つい最近までつながりの無かった我々が一位を目指しております!

是非是非お願いいたします→