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日本でも、韓国でも、世界のどこにいたって、いつも心に笑える愛を。

さて、おそばを食べて、私たちはこの旅の目的地へ。

事情があって、中には入りませんでしたが。


下の写真にある茶色の建物は何かわかりますか????
photo:01

陜川(ハプチョン)にある『原爆被害者福祉会館』です。

韓国に、原爆被害者!?って感じですよね~?

この建物は1990年の日韓合意の際に
日本政府が援助した40億円の一部をもとに建てられました。

初めて来たんですが、
正直、なんでこんな田舎の街にこんな建物を?って思ってしまいました。


・・・実は、この陜川という街には、
原爆被害者の方がたくさん暮らしていらっしゃいます。

今も、この福祉会館には100名強の方が暮らしています。


1910年の日韓併合から1945年の終戦までの35年間、
韓国の人たちは日本の支配下の中、仕事を求めて日本に渡りました。

その中でも、陜川を故郷とする人たちが、
広島や長崎に多く移り住んだそうです。

そして、1945年8月・・・悲運にも被爆してしまったのです。


終戦と同時に韓国に引き揚げるも、
日本国内の広島や長崎の人たちのように、
原爆症と呼ばれる後遺症に苦しむ韓国の人たち。


もちろん、他にも色々な国から来た被爆者がいると思いますが、
このように、日本国外に住む被爆者を在外被爆者と言います。


被爆の苦しみは私には一生わからないけど、
被爆者と痛みに国境はないことはわかります。


日本にいる被爆者たちは、被爆者認定を受けることで、
医療特別手当などを受けることができます。

私の知り合いにも被爆者健康手帳を持っている方がいます。

被爆当時の爆風でのケガの跡が痛むのはもちろんのこと、
やはり、目に見えない放射線被害の怖いところで、
年を取った今、体の内臓器官のあちこちも一度に痛むと言います。

もちろん、それが高齢によるものなのか、
原爆被害によるものなのかわかりません。

でも、普通に暮らす私たちより、
何倍もの放射線による発病リスクを抱える人たちがいます。

最近までそうだったのですが、
日本政府から原爆症と認定されるには、
日本国内での申請を条件としていました。

もちろん、金銭的にも、肉体的にも日本に渡ることは不可能に近い
在外被爆者への補償はそのままでした。

しかし、2008年12月15日から被爆者援護法の改正により
日本国大使館や日本国総領事館でも
被爆者健康手帳の交付申請が可能になりました!

2010年4月1日からは、原爆症認定申請(これ、大事よね!)と
健康診断受診者証交付申請もできるようになりました!
ただ、健康診断については、日本国内での健康診断受診のみなので、
まだ、不完全と言えるのかもしれません。

実際に、在外被爆者のうち、
原爆症認定を申請し、手当てを受給している人は数パーセントだそうで。

これ以上、細かいことはあんまり調べてないので、わかりません。

きっと、大使館や領事館に聞いた方がいいですね(笑)


でも、日本国内でもそうですが、どんどん高齢になる被爆者の方に
渡航を求めなくなっただけでも、いいことじゃないかと思うのですが、
もっと早かったら・・・と涙を飲んだ人がどれぐらいいたのでしょうか・・・・。


・・・・・・・そこらへんは私には難しくてもうわかりませんもう無理


被爆した人の体の痛み・心の痛みは想像を絶するもので、
私には絶対に理解できないものと思っています。


だけど、その体や心に寄り沿うことはできるのでしょうか??

皆さんはどう思いますか?????


たまには、ちょっぴり真面目なブログでした~。
(長くてすみません・・・今日のブログ・・・ほんま漢字多い汗



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