当たり前なことが、当たり前ではなくなったときの寂しさ。

現実から逃げるくせが治ったのはMIAのお陰なんじゃないかと思っているのだけど、あのことはもう即日出会い(笑)が出来ないから、ひとり窓際から曇り空眺めています。
辛くても遠いとこ行きたいとか逃げたいとか思わんくなったなぁ。逃げたら一生逃げなあかんくなるし、逃げられはしないのは分かっているから、それなら今の環境をどうやっていい方向に持って行くかのほうが大事やと思う。たまに愚痴るくらいやったら私もあるが 慢性的に言われると心配してしまう。そんなに辛いなら逃げるのもありだよ、って言っても、そうゆう人ってたいてい自分の中で結論が出てるから、実はあまり意味がなかったりする。なので私は無力なのです。常々、いかに他人に革命を起こすかを生き甲斐としておりますが、結局わたしは無力なのです。革命をくれたひとに革命を起こせるかっつーとそうじゃない。名前言わないで去っていくヒーローは助けた坊やになにも求めんだろ。多分わたしを助けてくれたひとは私からの見返りは望んでいないのだろう。ギブアンドテイクなんざ実は中々ない。

たまに死んだら楽になるんだろうとか思って死にたくなるが、あまりに極論すぎるので美味しいもん食べて落ち着くことにした。全てはシルクロードに通ず。
考え方を変えたって根本的にはなにも変わらないのを思い知った。どこまで逃げたって結局あたしはあたしなのだ。前へ前へとあがいたって、同じ問題にぶち当たると錯乱する。誰にも言えない深い部分は相変わらずそこにある。向き合うか逃げるかの違いなのだ。
病気だから、で片付けるのは悔しすぎる。ただ向き合うのは恐すぎる。だから逃げるしかない。美辞麗句並び立てて逃げるしかない。逃げよう。また追い詰められることは知っていながらも。
こないだうちの店に入って来たFさん。どうやら私の家の近くに住んでいるようで、帰りは一緒に帰れるんか!?と期待していたらそうでもないらしい。Fさんはママンが迎えに来るので、ママンと一緒にバスに乗って帰るんだって。もちろん私と一緒のバスな。気まずいがな。
なんか、一年前の自分に出会った気分だ。Fさんは私ではないけれど、どこか似ていて親近感が沸く。お母さんとは仲良しだとか、まわりを気にして生きているだとか、どうでもいいことに異常にプレッシャー感じてるとことか。今もそうだけど、私の原点を見た気がした。悪い悪くないおいといて見ていると楽しい。Fさん24なんだけどね。わたしより3つも上なんだけどね。

沢山選択肢を作るのが得意になった。その分迷うけど。