頑張らない、それがわからなかった。
だって、いくら頑張ってても
「頑張ってない」と言われるから。






「頑張らなくていい」

この言葉を聞くたび


え?頑張ってないけどな


って思ってた。





家事も片付けもできないし
育児もまともにできてない。
働いてるわけでもない。


結果出してないし、
行動もできてないよ?
それって頑張ってないってことでしょう?

そう思ってた。




でも、頑張らなくていいってのは、そういう意味じゃなかった。



できない自分を責めなくていいってこと。




私は引きこもりのとき、親に助けを求めるたび「そんなの言い訳」「あれができてない、これができてない」「だからもっと頑張れ」

と言われ続け

3歳の頃から
父親に平手でしこたま叩かれても、
お母さんは助けてくれず。


褒められた覚えも
共感された覚えも 
母に関心をもってもらった覚えもない。


小さい頃から、ずっと、寂しさを耐えて耐えて耐えてきた。







3歳の娘を見て


「ああ、こんな頃からわたし、さみしくても我慢してたんだ。共感してもらえなくても、生きてきたんだ」



そう思うと、

よく頑張ってきたな

初めてそう認めることができて、
ボロボロ涙がこぼれた。





こんな小さい子供には、
母親に関心を持ってもらえないのが、
耐えられず

頑張ったらお母さんは
きっと愛してくれる

そう思いこむことで、
なんとか辛い現実を耐えたのかなって。



もちろん愛してくれてはいたと思う。

でもそうじゃなくて
素直な愛情がほしかったんだよね。



目を見て頷きながら、話を聞いてほしい。
一緒に笑顔で、遊んでほしい。
あーでもない、こーでもないと、
笑い合いたい。


それは叶うことはないけれど。



それを認められた今は、
こう思う。



母に認められたいがために、
父の介護を引き受けて

母に認められたいがために、
子育てを頑張り、

母に認められたいがために
知識を集めて
  


「愛されたい、認めてほしい」
苦しいのにそれを手放せなかったのは、  

お母さんの注意を引きたかったんよね。






不登校、引きこもりもきっとそうなんよ。

不登校引きこもりの子供いたら、四六時中気になるよね?

甘えたり、助けを求めたり、

そういう方法で気を引けないから、
私は不登校という手段に出たと思う。








もちろん単純に、疲れていたというのもある。 


それはね。親が、じゃない。

私が私を大事にしていなかったから。
私が、私を責め続けたから、

疲れてしまった。



自分で自分を追い詰めたのが
一番の原因。




不登校の子供がいたら、100%内心では自分を責めてると思っていい。

あるがままでいいと思ってる子は、不登校ならんと堂々と外に出ることができるし、学校にもいける。

責めてないなら、エネルギー湧いてくるので、挑戦する勇気も湧いてくるはず。
(と、私は思う。)



できない自分を受け入れられない
失敗する自分を受け入れられない

駄目な自分を責めてしまう

そういう所から
不登校は始まると思う。