死との向き合い方って

大事だなって思うんだよね。









子供が余命わずかで、大好きなヒーローに会わせて励ましたい、拡散お願いします。ってポストを見た。


それを見て、なんだか、せつない気持ちになった。





すごーーく、すごーく気持ちはわかる。私も父を亡くしたから、よくわかる。⁡


でも、この人の、他の文章も読んでたら気づいてしまった。⁡
「ああ、この人、目の前の余命わずかな子と、気持ちが一緒にいないな」って。⁡

俳優さんに会ってもらうのも、たしかに喜ぶと思うよ。そのために奔走する気持ちもわかる。でもね、、、⁡
その子が望んでるのは、目の前のお母さんと、尊いひと時を、ただ一緒に過ごすことだと思う。

それが、一番、子供が喜んで、くつろげることだと思うの。⁡


私も父が亡くなるかもしれない、と知ってから、

たくさん、父の病気がよくなるように…とか、

父のため、家族一丸となるため…とか、色々必死に頑張っていたよ。⁡
その努力は、それはそれで尊いものでもあったけれどね。⁡

でもね。⁡私はね。
「家族のため」って言いながら⁡
「自分のため」だったんだよ。⁡



父が死ぬかも、っていう、その痛みを、事実を私は直視することができなかった。⁡
一人になることが怖かったんだよね。⁡
だから、家族のため!って必死に頑張ることで、直視するのを避けたんだよ。⁡
過去の私に言いたいもの。⁡
「頑張るのもいいけれど、目の前のお父さんと一緒にいてあげて。痛みから目を背けないでね」って。⁡
 
目を背けた代償はすごく大きかったよ。ずいぶんと父に、さみしい思いをさせたと思う。
そんな過去の私と、おんなじ様な人を見つけてしまって、老婆心でこんな文章を書きたくなってしまった。。

もちろん、私のエゴではあるんだけれども。⁡
(もちろん、痛みから目を背けることを否定してない。仕方ないと思う。何よりも、その親子の、家族の幸せを願ってます。)