父の死を、目の当たりにして
悲しんでる時間すら、
私は、幸福だったのかもしれない。

最近はそう思うのです。








私ね。

親のルール、いい子であれと
押し付けられすぎて、

いい子を演じるのが板についてた。


大人しいね。ってどこでも言われる子。


親も、不登校になるまでは、私の扱いにはあまり困ったことがなかったらしい。
(怒鳴られまくってたけどねw)



それがね、私が、親になっても
続いてた。


子供たちにとって、
いい親であれるように。

それが私の最優先事項だった。



でも、いくら、
いいと言われること
知識をつめこみ、
やり尽くしたって、


息子のアトピーは治らなかったし
発達障害の息子のカンシャクが
止まることはなかった。






ならばもっと、頑張りが足りないのかと
育児に、父の介護まで引き受けて

でも、



パニック障害を発症、
父は死に、
旦那はうつで休職に、

母も弟も、
離婚した父のことを避けまくり。

私の中にあった
家族一丸となる夢は、もろくも崩れた。







こんなに
頑張ってるのに
なんで?


父が亡くなったあと、
私は無気力になり、
ぼーーっとする日々。









それを埋め合わせるかのように
私はまたいい親になろうと
奮闘し始めた。


手探りだった。

どうしても、どうしても、
幸せになりたくて。
家族を幸せにしたくて。




でもね。
今、本気で心から幸せと言えるようになって、思うのは、


最初から、いつでも幸せは
すぐそばにあったんです。


私が見ていなかっただけ。




旦那も、父も、母も、弟も、
子供たちも、

最初から幸せだったし、
最初から、私に愛情を注いでくれていた。
(親からの暴言、暴力はあっても、旦那が鬱のときでも)




私が「ない、ない」と盲目になって、
キラキラした理想を追いかけていただけ。

目の前にいた、母も父も、
子供たちも旦那も
さぞ、さみしい思いをさせたと思います。






よく考えてみてください。



どんなに悲惨な人生を送った人でも、
一瞬でも幸福ではなかった人なんて
いないと思うのです。

もしそんな人がいるなら、
命を保つことができないと思う。

生きているという時点で、
あなたには一瞬でも
幸福な瞬間があったはずだし、

今の今も。

今がどんな状況でもあるはずです。



それを見つけて、大事に大事に
してほしいのです。

目の前の人が、いつでもいるとは
限らない。

目の前の愛を、ちゃんと見て、
感じて欲しい。





私の二の足を踏まないように。