ご無沙汰しております。


みなさま、お元気でしょうか?


かなり、自分の熱しやすく冷めやすい性格が災いしてブログを放置してました。



でも、お盆に実家に戻って家族と穏やかな時間をすごし


昨日一日普段の生活に戻って


母が持たせてくれた炊き込みご飯を食べている時

後どれ程

両親と一緒の時間をすごせるのかを考えてホームシックになりました。

こんな歳なのにね・・・。


兄弟とも久しぶりに昔のように沢山話す機会もあり、充実した時間を得て良かった。



この家族のもとに自分がいていいんだなぁ~とじんわり涙しながら一人、母の味をかみしめました。


この味を絶対に自分のものにしなきゃいけないなと誓いました。





鶴岡市の旧風間家住宅「丙申堂」を後にして、酒田市へ。

酒田市の山居倉庫(http://www.sakata-kankou.gr.jp/yumenokura/ )の現在も使用されている穀物倉庫を見学しました。

下の写真はその倉庫の河川側ではなく、欅並木側。

函館でもこういった風景を見た覚えがあるけど、絵になるな~。

酒田2

あの、有名な「おしん」でロケ地だったことから観光客がいますいます。

倉庫から目と鼻の先には、酒田市には豪商中の豪商、本間家の旧本邸があります。


本間家の旧本邸(http://www2.ocn.ne.jp/~hommake/
本間家の歴史(参照 http://homepage2.nifty.com/hekisui/honmake.htm
本間美術館(http://www.homma-museum.or.jp/ )元本間家別邸です。


本間家でも、家屋の説明を十数名の皆さんと一緒に聞き、拝見して歩きました。
ちょうど、端午の節句の飾りつけを展示して、さらに、時の天皇陛下がいらっしゃった当事にお迎えした銀屏風も展示中でした。
この銀屏風、一羽の鷹より三枚の羽をもちい、数十羽の鷹の羽を屏風の飾りに装飾している。

華麗さをもってせず、あくまで高潔な作品といえるのではないでしょうか。
武家と商家の趣が一緒に建物内にあるのですが、日本一の豪商とうたわれても堅実な生活ぶりをうかがわせます。


風間家同様に震災にもビクともせず当事と変わらぬ風情が伺えます。
そして、表玄関前の樹齢400年の松は見事としかいいようがないのでは・・・。


そうそう、琵琶湖はこの日本一の豪商本間家の持ち物だったそうです。

なんか、当事の日本国内のセレブといえど、桁ちがいな感じですね。
豪商といえば、三井家、住友家も当事から大した豪商だったようです。
本間家はあくまでこの地域に貢献して商いを営まれた様子ですが、三井家、住友家は大きく財閥展開して今の姿になったようですね。

同じ東北地方にあるのですが、この日本海側と景色と太平洋側の景色ではなんとなーく、なんとなーくですが山形の景色は優しく丸みを帯びた色艶に見えてきました。

普段の景色が白っぽく感じてしますのは、隣の芝生減少でしょうか...ψ(。。 )


そんなこんなでようやく一泊の山形旅行も終盤を迎え、最後に鳥海山の道の駅で海鮮丼を頂き、無事に岩手に戻ってきました。

マミーと父と三人だけの旅でしたがいい思い出です。


ο(=・ω<=)ρ⌒☆


明くる朝、山形市内のホテルを出て、ちょっと途中迷いつつも鶴岡市に到着。


鶴岡市では山形で二番目に豪商と歌われた旧風間家住宅「丙申堂」に立ち寄る。
風間家は武家だったので苗字を持っていたのですが商人となり、藩の御用商人から、明治にないっては貸し金に転じ産業振興を行ったそうです。

貸し金から、風間銀行となり、華麗なる一族でも話にあった、金融再編により風間銀行は荘内銀行に他2行と共に合併された。

現在の風間家御当主は荘内銀行の役員をお勤めで育英事業を行っていらっしゃるとのことでした。


御家族は別邸に居を代えられておりましたが豪商といわれた由縁であるところの金庫にその金庫の蔵、震災にあっても倒壊しなかった建物のつくりと華美な生活ではなく、堅実な生活を感じさせてました。


奥の庭園に小座敷があって、映画「蝉しぐれ」のセットに使われたとか。

鶴岡風間家

ちょうど、今の時期が庭園も緑が美しい良い景色が広がっていました。

屋根に葺いている石の量は圧巻です!

数年前に葺き直した時の映像を見せてもらいましたが丁寧な仕事をしていらっしゃいました。


この旧風間家住宅「丙申堂」を説明下さった、おじ様が物腰の優しい方で説明も丁寧にしてくださいました。

みゅうたち以外にも10名程度、その時間には入らしてた様子です。

次回最後かも・・。