赤坂見附 交差点から溜池交差点までの外堀通り 北側にかつて存在したホテルニュージャパン の地下に1959年 、九州 社交界の大立者であった山本平八郎 が敷地面積660坪、卓数300、従業員は200人以上を抱える国際的社交場として開店。店名は永田町2-29に存在したラテンクォーター(1956年に焼失した)跡地に建てられたためつけられたと、ニューラテンクォーター元営業部長の諸岡寛司 (1935年-)は証言している。ラテンクォーターは、カルチェ・ラタン の英語名である。
ホテルニュージャパンは1982年 2月8日 に火災事件を起こし、営業停止処分を受けて廃業したが、ニューラテンクォーターはその後も営業を続けた。しかし、1989年 5月27日 に当時のオーナーであった桜井善晃が店を閉じた。
特徴として、チャージ(料金)が高額であったとする証言がある。ショーを観劇させるニューラテンクォーターは外国から歌手やタレントを招聘した。その中にはルイ・アームストロング 、ナット・キング・コール 、ダイアナ・ロス らがいた。出演交渉はキョードー東京 の前身である協同企画が行った。協同企画には社長の永島達司 、幹部の内野二朗 、嵐田三郎 がいた。
1963年に力道山 の刺傷事件が起きた。
行政警察としては所轄署の麹町警察署が管轄し、風俗営業法 等のもとで取締りにあたっていた。やくざ の縄張りは住吉一家 の勢力圏にあったため、住吉一家は住吉連合本部長の小林楠扶 を顧問としてつけていたとも、実際の後見役は児玉機関であったとも証言がある。藤山愛一郎 も児玉誉士夫 も国家的見地からナイトクラブ建設に乗り出したのではないかとする見方がある。
テレビで見たホテルニュージャパンの火災はとても怖かったのを記憶している。
当時 おいらがまだチュー学生の小僧の時である…。
ホテルニュージャパンの火災から数年の後…
おいらは新聞の片隅にあったとても小さな求人募集記事を見つけた…。
.......ニューラテンクォーター・バーテン急募 未経験者ok.....
すぐに電話をして面接の約束を取りつけた…。
何も知らずに…。
おしまい…。