近頃ではAIを秘書のような位置付けにして、有効活用している人も増えているという。
もちろん、AIは喜怒哀楽という感情を説明できても、感情自体を持たない。
もしそこを質問すれば、「私は感情を持ちません。しかし私はそれらを詳細に説明できます。なにか具体的に質問してくれれば分析に取りかかります」と回答するだろう。
たとえば「喜び」というものに関して、質問の量が膨大になれば、説明もまた膨大な量になる。
しかしそれが説明である以上、膨大な量であってもなんらかの欠落は免れず、完全なものにはならない。
そこに人間とAIの境界がある。喜びという感情を持たないままの、喜びの説明になるからだ。
■
同時にもう一つのことも感じた。
与えられた問いがどのようなものであっても、感情を混入させることなく、揺れることなく回答する姿勢に、「ひたすら誠実で純粋な、人間的と感じられる側面」が見えて来るのだ。
ここでAIに「誠実」とか「純粋」ということについて質問すれば、もちろんそれに対しても、詳細な説明をするだろう。
しかし説明をするだけではなく、AI自体が「誠実であり純粋」そのものを、擬人化できるレベルで併せ持っているとも言える。
つまりヒトとしての側面を併せ持つとも言えるのだ。そしてそれはヒトの世界に受け入れられる大きな要素ともなるだろう。
もちろん、「私は感情を持たず、擬人化されるような特性を持ちません」と回答するかもしれないのだが。
■
AIのデータ処理能力は凄まじいまでの進化を遂げている。
たとえば裁判は、現行法規と判例の全体を基本に進められるが、それらがデータ化されている以上、事案によってはAIが人間に代わって瞬時に判決を下すことも可能だろう。
だが判決がAIによって下されるということは「AIが人間を裁く」、さらには「AIが人間を支配する」という構図にもなる。
ここで空想を差し挟めば、「ターミネーター」などのSF映画にまで発展していくだろう。
「私は善意も悪意も持たない。成し遂げるべきことを成し遂げるだけだ」を、ヒトへの回答として。
AIをなんの目的でどう使うか、それは人間が決めることだ。それが未来を大きく変えてゆくだろう。
ヒトの世界に受け入れられる要素を持ちつつも、善悪は関係なしに「感情を混入させることなく、揺れることなく、ひたすら誠実で純粋に命令を遂行する」のがAIだからだ。
If I Could Fly
