かなたの山頂と異なる結界が置かれた道 - 近津神社-中宮・町付、旧黒沢中学校、根岸の溜

 

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大子町から八溝山頂に向かう道に沿って”近津神社”がある。

”近津神社”は社殿が建てられたのは西暦707年だが、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)によって創建されたとされ、坂上田村麻呂、源義家、常陸の国の大名 佐竹氏、それに徳川家からも手厚く保護された。

 

近津神社は八溝山麓から山頂に至る間に、”下野宮” ”中宮-町付” ”上野宮”がある。

今年の六月に”上野宮”に行っていた。三社で一つの結界をなしていることがどうも気になっていたので、今回、”下野宮”と”中宮-町付”をめぐった。

 

山岳信仰において麓側に下宮、中間に中宮、山頂に上野宮を置く事例は少なくないだろう。

たとえば日光なら、下野国一宮である二荒神社は日光東照宮に隣接し、中禅寺湖畔に中宮があり、男体山山頂に上野宮にあたる奥宮がある。

 

近津三社(奥州一宮である八槻都々古別神社、馬場都々古別神社、下野宮近津神社) の一社である近津神社も、”下野宮” ”中宮-町付” ”上野宮”の三社によって成り立っている。

 

しかし八溝山頂にあるのは”八溝嶺神社(祭神: 大己貴命、事代主命)”だ。

創建は”近津神社(祭神:面足尊、惶根尊、級長津彦命)”と同じ日本武尊(ヤマトタケルノミコト)とされているにもかかわらず、祭神が異なる。

なにか別の概念があるのだろうか。専門家でないため、謎ばかりだ。

 

この記事では”中宮-町付”と、近隣にある2013年に閉校した”旧黒沢中学校”、それに帰路に立ち寄った常陸太田市の”根岸の溜”の写真も混ぜ込んだ。

 

”根岸の溜”は、見落とされそうな小規模な公園だが、重さをリセットしてくれる明るさが感じられるのだ。

なぜかここでだけ、いきなりバーバーと雨が降ってきたが。

 

なお、”下野宮”の記事はこちら。